「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

皇后陛下の傘寿のお祝いと地久節の時代

2014-10-20 06:15:31 | Weblog
今日10月20日は皇后陛下美智子さまの80歳であるのを改めて新聞で知った。傘寿のお祝いである。おめでとうございます。皇后陛下とは、お目にかかったことはないが、何か特別な親しみを感じる。第一は同じ昭和1ケタ世代として戦中戦後のあの時代を体験されてきたこと。第二は個人的なことだが、戦前、陛下が少女時代を送られた正田家の実家が、僕の少年時代の遊びの”古戦場”だった池田山(五反田)だったこと。第三は正田家のご先祖の地、群馬県館林が、僕の先祖の地に近いことなどである。

先日、皇后陛下は天皇陛下とご一緒に戦争中沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が沈没され大勢の犠牲者が出た悲劇を追悼され、沖縄の慰霊碑を参拝された。両陛下は、まさに「対馬丸」の学童と同世代である。天皇陛下は学習院の集団学童疎開で学友たちと奥日光で生活されているが、皇后陛下は昭和19年から終戦までの1年間、ご先祖の地、館林から、別荘のあった軽井沢の国民学校(小学校)を転々とされている。それだけに、両陛下にとっては「対馬丸」事件は忘れられない。

皇后陛下の誕生日は戦前まで地久節と呼ばれた。老子の「天長地久」から出た言葉で”大地が永久に変わらぬ存在であること”つまり皇室の悠久の繁栄を歌った言葉で、天皇の誕生日は「天長節」と言い、皇后陛下の誕生日は「地久節」であった。昭和天皇の皇后、香淳皇后の誕生日は3月6日であった。「天長節」は国の祝日で学校も休みであったが、「地久節」は一部の女子校だけが休日だった。しかし、今でも僕は3月6日が「地久節」だったことを覚えている。

天皇皇后両陛下ともにお元気である。しかし、両陛下とも80歳をこえたご高齢である。出来るだけ必要なご公務は別として皇太子殿下ご夫妻にお譲りになったほうがよろしいのではないか。同世代の年寄りとしてご進言したい。