「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

韓国の”あるまじき”行為” 産経ソウル支局長起訴

2014-10-09 09:52:19 | Weblog
産経新聞前ソウル支局長、加藤達也記者がネットに書いたコラム記事が朴菫恵大統領の名誉を傷つけたとしてソウル地検が同記者を在宅起訴した。改めて同記者が8月3日のウェブサイトに書いた記事”朴大統領、客船沈没当日 行方不明 誰と会っていたか”を読み直してみたが、コラムの内容は、韓国の新聞内容や筋を明らかにした噂話を紹介したに過ぎない。菅義偉官房長官が”民主主義国家としては、あるまじ行為だ”といっているがまったくその通りだ。政府はきびしく抗議すべきである。

今から半世紀ほど前の共産国家では、報道の自由などなく自国に不都合な記事を書いた外国特派員は即時追放するのが当たり前であった。僕がまだ現役だった1967年(昭和42年)、中国北京に滞在していた日本の特派員が、朝日新聞を除いて全員追放されたり、スパイ容疑で逮捕され1年近くも拘留
された。ちょうど文化革命の最中で、わが社の場合は、たしか紅衛兵の書いた壁新聞をそのまま東京に送電したというのが追放の理由であった。

その時代、僕はインドネシアのジャカルタに特派員として滞在していたが、65年の9・30クーデター未遂事件の混乱時であったためか、日本へ送る電報記事は、すべて事前検閲があった。電話は英語以外は禁止され、すべてモニターされていた。僕らは苦肉の策として、ジャカルタから香港経由(当時は東京直行便がなかった)帰国する知り合いの日本人客に頼んんで、香港から原稿を打電してもらった。

韓国は半世紀前の共産国家ではない。れっきとした民主主義国家である。報道の自由は保障されている。まして、産経新聞のコラムが引用した韓国の新聞については、なんの”おとがめ”もない。日頃から産経新聞は”反韓””右翼”と韓国内ではみられているそうだから、これに対する”おとがめ”なのだろうが、まだまだ未熟な国家とである・

赤崎教授のノーベル賞授与と昭和一けた世代

2014-10-09 05:25:06 | Weblog
青色発光ダイオード(LED)の開発で名城大学終身教授の赤崎勇氏(85)が天野浩名古屋大学教授、中村修二カリフォルニア大学教授と共に2014年度のノーベル物理学賞を授与された。赤崎教授は昭和4年(1929年)1月生まれで、僕より2歳上だが、戦中戦後の混乱期を生きてきた同世代人、なんとはなく”戦友”的な親しみを感じる。

赤崎先生は鹿児島県知覧町(南九州市)の生まれだ。知覧は戦争中特攻隊の基地があったので有名だが、徳川時代薩摩藩の支藩の城下町があった。10数年前、僕はJICA(国際協力事業団)の”町並み保存”という研修コースのコーディネ―たーとして、この町を訪れたが、きれいな格式のある街並みがよく保存されている。赤崎先生は、少年時代、ファーブルの「昆虫記」を読んだり、昆虫採集したり釣をしたりして過ごされたという。しかし、昭和16年鹿児島ニ中(旧制)に入学した年に大東亜戦争が勃発した。鹿児島市は特攻基地があった関係から20年3月から8月までに、8回も空襲にあっている。先生はこの空襲下、海軍航空隊の格納庫建設などに学徒動員されている。

戦後21年、先生は旧制第七高校(鹿児島)に入学、さらに23年京都大学に入学した。京都大学にあこがれたのは、当時ベストセラーだった大佛次郎の書いた小説「帰郷」の京都描写からであったという。科学者である、先生の別の一面がうかがえしれる。24年、湯川秀樹京都大学教授に初のノーベル物理学賞が授与された。京都大学の学生だった赤崎先生も大きな感動を受けたに違いない。

テレビの画面で赤崎先生のお元気な姿を拝見したが、新聞報道によると数年前大病されて食事制限されておられるそうだ。どうぞご自愛のほどを。ご夫婦で元気にノーベル賞授与式に出席されてください。