〝灯下親しむの侯”というのは今頃の季節の手紙の初めの常套句であった。確かに僕の遠い想い出の中にも、白熱電灯のあかりの下で、虫のネを聞きながら長編小説を読みふけったことがある。今年も10月27日から11月9日まで二週間、恒例の「読書週間」が始まる。今年の「読書週間」の標語は”めくるめくる本の世界”である。活字離れが進んで、電子書籍の利用が増えているのに対する危機感を”めくるめくる”で表現したのだろう。
先日「読書週間」に先立ち読売新聞が行った世論調査が紙面に出ていたが”この1か月に本を読んだ人、読まなかった人”の調査では、この三年続けて読まない人が50パーセントを割っていた。つまり二人に一人は本を読んでいないということだ。そういえば、僕自身も入院を控えて病院通いで多忙であったこともあるが、一冊もまとまった本を読んでいない。
戦争末期の頃だが、僕は”活字飢餓”に落ちったことがある。千葉県の江戸川運河の河口で家を離れ、勤労動員中だったが、、ラジオもなく新聞もない毎日の生活が続き、中学三年であった僕は、むしょうに本が読みたくなった。分宿先の農家の便所にあった、落とし紙がわりの古雑誌を長時間読みふけった。この”活字飢餓”は、体験した者しかわからない。
読売新聞の調査によると、活字離れ対して電子書籍の利用者は、昨年に比べて14パーセント増えているという。頭の固くなった僕には電子書籍の購入法も解らない。たまに必要があって、インターネットで古典の短編を読むことはあるが、どうも今ひとつ読書をしたとい気になれない。やはり、ページをめくり、めくり、栞(しおり)をはさんで、また読み直し、長編を読見終えた時の達成感がないと、僕には読書ではない。
先日「読書週間」に先立ち読売新聞が行った世論調査が紙面に出ていたが”この1か月に本を読んだ人、読まなかった人”の調査では、この三年続けて読まない人が50パーセントを割っていた。つまり二人に一人は本を読んでいないということだ。そういえば、僕自身も入院を控えて病院通いで多忙であったこともあるが、一冊もまとまった本を読んでいない。
戦争末期の頃だが、僕は”活字飢餓”に落ちったことがある。千葉県の江戸川運河の河口で家を離れ、勤労動員中だったが、、ラジオもなく新聞もない毎日の生活が続き、中学三年であった僕は、むしょうに本が読みたくなった。分宿先の農家の便所にあった、落とし紙がわりの古雑誌を長時間読みふけった。この”活字飢餓”は、体験した者しかわからない。
読売新聞の調査によると、活字離れ対して電子書籍の利用者は、昨年に比べて14パーセント増えているという。頭の固くなった僕には電子書籍の購入法も解らない。たまに必要があって、インターネットで古典の短編を読むことはあるが、どうも今ひとつ読書をしたとい気になれない。やはり、ページをめくり、めくり、栞(しおり)をはさんで、また読み直し、長編を読見終えた時の達成感がないと、僕には読書ではない。