「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

最後の軍神、関行男神風特攻隊長の遺書と本心

2014-10-26 05:22:11 | Weblog
海軍省はちょうど70年前の昭和19年10月26日、レイテ湾沖海戦で、海軍神風特攻隊敷島隊隊長、関行男大尉率いる5人の軍神が、米空母「セント・ロー」に体当たりし撃沈させたと発表した。「「神風特攻隊」と「零戦」の名前が国民の前に明らかにされたのは、これが初めてであった。関隊長はこの武勲により二階級特進、中佐に昇進している。

戦争中、小国民だった僕らの世代は「軍神」について特別な想いがある。小学校唱歌の「軍神広瀬中佐」や「爆弾三勇士」、大東亜戦争勃発時のハワイ奇襲攻撃の特殊潜航艇の九軍神、加藤隼戦闘隊の隊長など名前を知らないものはなかった。しかし、関行男軍神については、いまひとつ知られていない。戦況が悪化し、やがて本土爆撃が開始される。軍は「軍神」の名前によって国民を慰撫出来なくなった。関中佐は最後の「軍神」である。

関行男軍神について調べたら、僕の新聞社時代の上司だった小野田政さん(故人)が報道班員として出撃前,マバラカット基地で関大尉に会っており、戦後このことを雑誌に書いているのを知った。ウィキペディアから引用してみる。「日本はおしまいだ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずにも敵艦の甲板に50番(50㌔爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下とか日本帝国のために征くのではない。最後にKA(海軍の隠語で妻)のために征くのだ」

時に関大尉は23歳、新婚間もなかった。彼の遺書には、こう書いてある。「父上様、母上様 幼時よりご苦労かけ手不幸の段お許し下さい。今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報いる覚悟です。武人の本懐これにすぐるものはありません」(後略)