「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦時中はなかった台風予報

2014-10-06 05:34:15 | Weblog
台風18号が南から北へ日本列島を縦断中で、テレビの画面が猛威を伝えている。今のところ、気象台が”大型で強い台風”と予測した割には幸い大きな被害は出ていない。昨年の伊豆大島、今年の広島など台風に伴う土砂すべり被害もあって、各地とも住民に事前に避難勧告を出すなど、おさおさ警戒に怠りがない。御嶽山噴火の惨状をみれば、前もって針路が解る台風に備えるのは当然だ。

戦争中は国内の自然災害について報道管制がしかれ気象台の天気予報も禁止されていた。天気予報が3年8か月ぶりに解禁されたのは、戦後すぐの8月22日であった。亡父の日記の特記欄にも「ラジオ気象通報」復活と書いてある。庶民にとって天気予報がいかに大切なのか解る。その4日後の日記には”台風の襲来で、敵の厚木、横須賀”侵駐”(ナマ)2日間延期となる”と記されている。

敗戦の年の秋は台風が多かった。9月17日には枕崎台風が上陸、関西一帯に大被害を出している。8月6日の原爆悲劇の広島の被害が最も大きく、2000人を超す方が亡くなっている。気象台の天気予報は復活したが、沖縄が米国の占領下にあり、台風の予測気象データーが不足していたのが、台風の被害を大きくした原因だといわれている。

当時中学3年生だった僕らは10月4日から23日まで、東京の旧品川区役所付近の第一京浜国道で空襲の焼跡整理に動員された。戦争に負け軍需工場の動員から解放され教室に戻れたのに、僅か1か月で再動員である。国道脇に積まれた焼けトタンなどをトラックに積見込む作業だったが、雨の日が多く濡れながら苦労した苦い想い出がある。日本列島という地勢からみて、毎年の台風の襲来は避けられない。やはり、予報を聞いて備えるより仕方がないのだ。