大阪に住む知人から「南方各地慰霊碑一覧」を改訂したいと申し入れがあった。この「一覧」は2002年、ジャカルタのタマン・プラサスティ(墓碑博物館)に放置されていた、ジャワ作戦時の廣安梯隊三十勇士之碑を再建したさい、協力願った方々の基金で出版したものである。南方各地といっても、ほとんどインドネシア各地の慰霊碑の一覧である。大阪の知人は戦前生まれといっても戦争は知らない世代の方だが、手紙によると、バリ島で戦後インドネシア独立戦争に参加した元日本軍兵士の慰霊碑の保存をされている方だ。
「一覧」が冊子になってから10数年の歳月が流れ、実は記載内容に変化がでてきて再版しなければ、と僕は思っていた。例えばスラウェシ島のマナド市民墓地にあった、日本初の落下傘部隊長堀内豊秋中佐の遺徳を偲んで戦後現地人が建てた「霊魂」の碑がすでに撤去されたままになっている。2002年、僕が訪れた時も慰霊碑の周りは雑草が生い茂ったままで、だれが管理しているのか不明だった。関係者に聞くと、中国系の旅行社が、日本人観光客を目当てに建てたとのことだ。日本の海上自衛隊がマナドを訪れた時も碑を参拝していた。
従軍世代が次第に少なくなり、海外各地のこの種の碑の保存が問題になってきている。厚生労働省は数年前から,だれが管理しているの不明な慰霊碑は撤去する方針で、日本遺族会など民間団体に依頼している。確かに僻地に建てられた慰霊碑の中には住民の無理解で破壊されたものもある。が、慰霊碑のほとんどは戦友や遺族によって建立されたもので、関係者にとってはやりきれない気持ちである。
数年前、川崎で催された戦争中のセレベスのニュース映画を見る会で、堀内隊長のご遺族とお会いした。ご遺族はすでに「霊魂」の碑が撤去されたのをご存知だった。落下傘部隊をアニメ化した「海の神兵」の事を知る世代も少なくなったが、出来れば隊長の遺徳を偲び、保存したく思っていた。しかし、碑はなくとも霊魂は不滅である。ある意味では仕方がないのかもしれない。
「一覧」が冊子になってから10数年の歳月が流れ、実は記載内容に変化がでてきて再版しなければ、と僕は思っていた。例えばスラウェシ島のマナド市民墓地にあった、日本初の落下傘部隊長堀内豊秋中佐の遺徳を偲んで戦後現地人が建てた「霊魂」の碑がすでに撤去されたままになっている。2002年、僕が訪れた時も慰霊碑の周りは雑草が生い茂ったままで、だれが管理しているのか不明だった。関係者に聞くと、中国系の旅行社が、日本人観光客を目当てに建てたとのことだ。日本の海上自衛隊がマナドを訪れた時も碑を参拝していた。
従軍世代が次第に少なくなり、海外各地のこの種の碑の保存が問題になってきている。厚生労働省は数年前から,だれが管理しているの不明な慰霊碑は撤去する方針で、日本遺族会など民間団体に依頼している。確かに僻地に建てられた慰霊碑の中には住民の無理解で破壊されたものもある。が、慰霊碑のほとんどは戦友や遺族によって建立されたもので、関係者にとってはやりきれない気持ちである。
数年前、川崎で催された戦争中のセレベスのニュース映画を見る会で、堀内隊長のご遺族とお会いした。ご遺族はすでに「霊魂」の碑が撤去されたのをご存知だった。落下傘部隊をアニメ化した「海の神兵」の事を知る世代も少なくなったが、出来れば隊長の遺徳を偲び、保存したく思っていた。しかし、碑はなくとも霊魂は不滅である。ある意味では仕方がないのかもしれない。