バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

最近の”気づき”から

2011年03月04日 | 日々の出来事
人と話していろんな考えを聞くと、自分だけでは気づかなかったことに気付けりする。
自分だけの見方だと一面的になってしまいがちだけど、いろんな人の見方を知ることで物事を多面的に見られたりするしね。


先日、学芸大の教授の特別支援教育に関する講演会を聴く機会があったのだけど
(この内容はすごく良かったし、いろいろ想うところあるのでまたいつか改めて書きたいと思っているのだけど)
その中で ”ソーシャルスキルを獲得することのメリット”として
「ソーシャルスキルがあれば、他者からの援助を引き出すことができ、援助を受けとめることもできる。」という話があった。

障害児って幼い頃から 何でも人並にできるように(ってか、少しでも人並に近づけるように?)やれPTだOTだSTだと訓練を重ねていくことが多いけど
でも、「別に自分だけで頑張らなくてもいい。周りにフォローしてもらえる子に育てればいいんです。」という言葉は
”あぁ、そうだよね。”とすとんと心に落ちた。

あれもこれも”自分でできるように”と親子で必死に療育に通うけど(ま、それはそれで大事な面ももちろんあるけど)
できないことは周りに”手伝ってください、助けてください。”と言えばいい。それが言えればいい。
そして、助けてもらったら”ありがとう”と感謝できればいい。
なるほど。


また別の話。

ダウン症でありながら書家として活躍する金澤翔子さんを取り上げた番組について、障害児のママ仲間で話していた時のこと。

私なんかは単純に
”あー、バンビにも何か1つでいいからこういうの(才能?)があればなぁ。”と思って見ていたのだけど。
あるママは
「障害者だからって、そういう何か特別な才能がなくちゃいけないの?
 そういうのがなくたってちゃんと生きていけることこそ大事だよね。」と言ってて
(言葉は違うかもしれないけど、ニュアンスとしてはそういうカンジ)
これまた なるほどーと思ってしまった。

番組の作り方が ”障害者だけどこんなに素晴らしい才能を持っているなんて、ほら、感動するでしょう?”的なニオイがするからなー。
抵抗なり違和感を覚えるのは それはそれでわかる気がする。

もちろん、翔子さんのお母さんはただ 子どもが将来(障害があるがゆえに)孤独に過ごすかもしれないことを考えて、一人でも打ち込めることをさせたいと書の道にいざなっただけなんだろうけどね。
あーいうの見ちゃうと、”うちの子にも何かないか、きっとあるはず。”って親が前のめりになりがちだもんね。(私なんてまさにドンピシャ?)

障害者であるがゆえに争うことや誤魔化すことを知らないピュアな魂が表現するアートには確かにすばらしいものがあったりするし
障害に起因する優れた能力(記憶力とか計算力とか)を持ってる人がいるのも事実。
だけど、大多数の障害者はそんな特別な才能はないままに誰かの支援を受けて暮らしているというのが現実。
だけど、障害者であろうとなかろうとその人がそこに在るということ、ただそれだけの、ありのままが尊重される、そういう世の中であれば素晴らしいよね。


どっちの話も、ついつい頑張らなきゃと気負ってしまう私にはいい教訓かも。
障害者だからって、別にそんなに必死にならなくていい。
あるがままの我が子を認めて慈しんで生きていけばそれでいい ってことなんだよね、きっと。

メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
コメント (6)
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