バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

プラママの集い

2022年12月22日 | 日々の出来事
 12月に入ってから バンビが2歳の頃親の会で知り合って
かれこれ17年近い付き合いのママ友4人で お泊り飲み会をしてきた。

今回は いつも世話を焼いてくれるママ友が
旅行割を使える温泉付きのホテルを探し出してくれたおかげでの
格安プラン利用。

かつては親の会の交流会等でちょこちょこ顔を合わせる機会もあったけど
新型コロナの影響もあったりして
いちばんブランクが長い人で3年ぶりくらいかな…

子どもの学年も少しずつ違ったりするけど
ずっとその成長を”親戚のおばちゃん”感覚でお互いに見守ってきた仲で
遠慮なく気軽に言い合えるから
久しぶりでも そんなカンジもぜんぜんなく
飲んでしゃべって、温泉入ってまたしゃべって。

PWSのことは PWSを直接知っている人
(親はもちろん、支援者とか医療関係者とか)
にしかわからないことって多くて
逆に PWS児を育てる親同士ならすぐに通じる”あるある”がある。

もう このブログでも何度も書いてるけど
PWSの本当の大変さは 食欲との闘いというより、むしろメンタル。

なんでそんなことしちゃうの?
なんでそういう発想になるの?

親を含めて周りの人には到底理解できないことを
平気でやってしまう その精神状態…

もちろん、本人には本人なりの理由があるんだろうけど
我々の理解の範囲を軽く越えてくる。

もっとも根本には 食欲が満たされないことへの不満やストレスがあるのかもしれない。
ただ バンビを見ていると
わざわざ目につかないように置いてあるものを
すかさず見つけて口にすることもあれば
見えるところにあっても食べない時もあり
いつもいつも食べものを漁りたい気持ちになるわけでもないみたい。

食べられないからストレスなのか
ストレスがあるから食に走るのか。
鶏が先か、卵が先か よくわからないんだけど
たぶん 時によってその両方なんだろうな。

まぁ、それはともかく PWSのやらかすそんな奇行を
うちもあるわー、あぁ わかる、わかる と話せるだけで
本当に 心が少し軽くなるんだよね。

先の見えない子育て
それも もう成人になろうかと言うのに終わりのない子育てに
疲労感だけが募ることも多いけど
自分だけじゃない、頑張ってる仲間がいる と思うと
それが心の支えにもなる。

今は コロナでの行動制限もだいぶ緩和されてきつつあるけど
なかなか親の会の活動は以前のようにはいかないんだろうと思う。
でも、それでも 機会があれば親の会の活動に参加して
是非同じPWSの親同士つながっておくことをお勧めするな。

就学しちゃうと皆落ち着いてしまって
疎遠になる人も出てきたりするけど
大変なのは 思春期後期から成人期だし
(中年になるとそれ以降本人は落ち着くみたいだけど)
親亡き後のことも 親あるうちにいろいろやっておくことがあって
そういう情報がまた必要になる時期が来るんだよね。

積み重ねは大事だと思う。
親同士のつながりは 住まいの地域や子どもの年齢が多少違っても
大切にしておいた方がいいと 私は思ってる。


話は少し飛ぶけど
この前 親の会で「視覚支援」についての学習会をZoomでやってくれて
小さい子のパパママの参加が多かったようなのだけど
私は 話を聞いてすごく良かったと思ってる。

うちもカレンダーを使ったり、todoリストを使ったりして
バンビが小さい頃から構造化や視覚支援は取り入れてきたつもりだけど
成人になった今でも 視覚優位と言うより耳から聞く理解が覚束ないバンビは
会話を図式化して 整理してやるとわかりやすいみたいなんだよね。

学習会の後でそれ思い出して、実際にやってみたら
「え?なんで? それってどういうこと?」って言い続けてたのが
「そういうことね、わかった。」って…

親の会(だけじゃないとは思うけど)で
他の人から話を聞くことは 子育てのヒントを得られる機会になるし
自分の話をすることは 自分の心の内
思っていたこと、考えていることを顕在化して整理する機会になるから
とってもいい、とっても大切。
是非是非活用してほしいなー。


父とバンビと 愛媛の旅

2022年12月22日 | 日々の出来事
 あっという間にまたもや1ケ月が過ぎてしまった…
この1ケ月、私とバンビと交互に胃腸炎になったり
まぁいろいろあったんだけど
まずは これだけはどうしても書いておきたい旅の話をー。

 私の父は今年89歳で
2年半前に母が亡くなるまで16年余り、ずっと父が母を介護していた。
その母が亡くなり、父に旅行でも行かないかと誘ったら
「元気なうちに 故郷のお墓参りをしたい。」ということで
11月、両親の故郷・愛媛に行くことになった。

最初は私と二人で行こうかとも考えたけど
同じ県内にある母の実家のお墓参りもしたいし、ついでに観光も となると
足元の覚束ない父を連れてだと レンタカーを借りた方が良さそうなので
ドライバーとしてオットも同行することに。
となるとバンビ一人を置いてもおけないので
結局4人で出かけることになった。

ちょうど全国旅行割が再開されるタイミングだったけど
予約を取ったのは9月で、それも格安旅行サイトだったので
残念ながら 対象外。

というわけで 【1日目】

父は飛行機に乗るのも何十年ぶりだったようで、空の旅を楽しんでいた様子。
松山空港近くでレンタカーを借りて、昼食を済ませてから
四国中央市の父の実家へ。
いちばん下の叔父が後を継いでいて、一緒にお墓参りを済ます。
父にとっては万感の想いがあったのだと思う。
通っていた学校にも足を伸ばしたりして、懐かしい思い出に浸っていたけど
そこは半世紀以上も昔なので 風景はすっかり変わっていたみたい…

叔父の一家と夕飯を共にして別れた後
ホテルは大浴場がないので、父が客室のお風呂を済ませた後
私達は近くのスパに出かけることにした。
ところがなんと月に1度の定休日でやってなくてがっくり…
結局、客室のお風呂に交代で入り、布団を並べて長い1日が終了。

バンビに障害があることは、事前に叔父に手紙で旅程を連絡した時に
発達に課題があって、実年齢より幼いと さり気なく伝えてはおいたんだけど
大して問題もなく過ごせたので そこは一安心。

【2日目】
朝ホテルを出て、新居浜市にある母方のお墓参りを済ませる。
母の実家は今はもう誰も住む人はなく、ぜんぜん別の建物が建っていて
昔の面影はまったくない… 

今治でおいしい蒸し料理のお昼をいただいてから 今治城観光へ。
お城観光は 父も好きだけど、何よりオットが楽しみにしていたプラン。
だけど、お城ってバリアフリー化はされていないところが多くて
ここも6階まで 階段で上がらないとならない。
足の悪い父が登れるのか心配したけど、何とかクリア。
慣れないスマホで写真を撮ったりして 楽しんでいた。
バンビはお城に興味があるわけじゃないけど
それでもおじいちゃんを気遣いながら文句も言わずついてきていた。


↑左上にうっすら見えるのが しまなみ海道の瀬戸内海に掛かる橋。
しまなみ海道も行ってみようということになったけど
さすがに尾道までは行けないので、途中の大三島まで行って帰ってきた。

今回の旅はお天気に恵まれて、本当に雲一つない青空。
温暖で穏やかな瀬戸内海に浮かぶ島々。

ちょっとのんびりしすぎて
松山市駅の近くのホテルにチェックインしたらすぐ夕飯の時間になってしまい
今回の旅で 私がいちばん楽しみにしていた
道後温泉に行く時間がない…

どっちにしろ道後温泉の本館は工事中であの有名な景観は見られないんだけど
松山来て 道後温泉行かないのもどうなの?
ここで諦めたら後悔すると思って、鯛めし食べた後
1人で出かけることにした。
(オット達はホテルの大浴場に入った。)

もういいおばちゃんでも、知らない土地で 夜一人で出かけるのは
ちょっとドキドキするけど…
路面電車に乗って、温泉(飛鳥乃温泉)でひとっ風呂浴びて無事帰れたので
旅の良い思い出になって良かった。

【3日目】
最終日は 松山城観光。
ここは現存12天守(当時のまま残っている天守閣)の1つで
本丸まではロープウェイで行けるんだけど
天守(3階)までは 狭くて急な階段を
這い上るようにして上がらないといけない。

私でもひるむような階段を
父もだけど、バンビも結構苦労して やっとの思いで見学。


おじいちゃんを気遣って歩くバンビ。根は優しい子なんだよね。

後は お土産を買ったりしながら、空港で遅めのお昼を食べて帰路に着く。

それにしても、愛媛のみかん愛はすごい。どこもかしこもみかん推し。
 みかん電車はオレンジ一色。
 中は全面みかんの広告。吊り革にも付いてる。
 蛇口からみかんジュース。
このキャラクタは「みきゃん」 あちこちで見かける。

愛媛は 子どもの頃は毎年のように母に連れられて来てたけど
最後に訪れたのは 私の祖父の葬儀だから
かれこれ20数年ぶり。

気候が温暖で、海も穏やかで
みかんや海の幸はもちろん、他にもおいしいものがたくさん。
特に松山は、コンパクトにいろんなものが詰め込まれている
地方都市の良さがあったなー。

父も おかげでお墓参りもできたし、いろいろ観光できて楽しかったと
喜んでくれているし
思い切って行って良かったな と思う。

もっといろいろな所に連れていってあげたい。
お父さん、いつまでも元気でいてね。