人と話していろんな考えを聞くと、自分だけでは気づかなかったことに気付けりする。
自分だけの見方だと一面的になってしまいがちだけど、いろんな人の見方を知ることで物事を多面的に見られたりするしね。
先日、学芸大の教授の特別支援教育に関する講演会を聴く機会があったのだけど
(この内容はすごく良かったし、いろいろ想うところあるのでまたいつか改めて書きたいと思っているのだけど)
その中で ”ソーシャルスキルを獲得することのメリット”として
「ソーシャルスキルがあれば、他者からの援助を引き出すことができ、援助を受けとめることもできる。」という話があった。
障害児って幼い頃から 何でも人並にできるように(ってか、少しでも人並に近づけるように?)やれPTだOTだSTだと訓練を重ねていくことが多いけど
でも、「別に自分だけで頑張らなくてもいい。周りにフォローしてもらえる子に育てればいいんです。」という言葉は
”あぁ、そうだよね。”とすとんと心に落ちた。
あれもこれも”自分でできるように”と親子で必死に療育に通うけど(ま、それはそれで大事な面ももちろんあるけど)
できないことは周りに”手伝ってください、助けてください。”と言えばいい。それが言えればいい。
そして、助けてもらったら”ありがとう”と感謝できればいい。
なるほど。
また別の話。
ダウン症でありながら書家として活躍する金澤翔子さんを取り上げた番組について、障害児のママ仲間で話していた時のこと。
私なんかは単純に
”あー、バンビにも何か1つでいいからこういうの(才能?)があればなぁ。”と思って見ていたのだけど。
あるママは
「障害者だからって、そういう何か特別な才能がなくちゃいけないの?
そういうのがなくたってちゃんと生きていけることこそ大事だよね。」と言ってて
(言葉は違うかもしれないけど、ニュアンスとしてはそういうカンジ)
これまた なるほどーと思ってしまった。
番組の作り方が ”障害者だけどこんなに素晴らしい才能を持っているなんて、ほら、感動するでしょう?”的なニオイがするからなー。
抵抗なり違和感を覚えるのは それはそれでわかる気がする。
もちろん、翔子さんのお母さんはただ 子どもが将来(障害があるがゆえに)孤独に過ごすかもしれないことを考えて、一人でも打ち込めることをさせたいと書の道にいざなっただけなんだろうけどね。
あーいうの見ちゃうと、”うちの子にも何かないか、きっとあるはず。”って親が前のめりになりがちだもんね。(私なんてまさにドンピシャ?)
障害者であるがゆえに争うことや誤魔化すことを知らないピュアな魂が表現するアートには確かにすばらしいものがあったりするし
障害に起因する優れた能力(記憶力とか計算力とか)を持ってる人がいるのも事実。
だけど、大多数の障害者はそんな特別な才能はないままに誰かの支援を受けて暮らしているというのが現実。
だけど、障害者であろうとなかろうとその人がそこに在るということ、ただそれだけの、ありのままが尊重される、そういう世の中であれば素晴らしいよね。
どっちの話も、ついつい頑張らなきゃと気負ってしまう私にはいい教訓かも。
障害者だからって、別にそんなに必死にならなくていい。
あるがままの我が子を認めて慈しんで生きていけばそれでいい ってことなんだよね、きっと。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
自分だけの見方だと一面的になってしまいがちだけど、いろんな人の見方を知ることで物事を多面的に見られたりするしね。
先日、学芸大の教授の特別支援教育に関する講演会を聴く機会があったのだけど
(この内容はすごく良かったし、いろいろ想うところあるのでまたいつか改めて書きたいと思っているのだけど)
その中で ”ソーシャルスキルを獲得することのメリット”として
「ソーシャルスキルがあれば、他者からの援助を引き出すことができ、援助を受けとめることもできる。」という話があった。
障害児って幼い頃から 何でも人並にできるように(ってか、少しでも人並に近づけるように?)やれPTだOTだSTだと訓練を重ねていくことが多いけど
でも、「別に自分だけで頑張らなくてもいい。周りにフォローしてもらえる子に育てればいいんです。」という言葉は
”あぁ、そうだよね。”とすとんと心に落ちた。
あれもこれも”自分でできるように”と親子で必死に療育に通うけど(ま、それはそれで大事な面ももちろんあるけど)
できないことは周りに”手伝ってください、助けてください。”と言えばいい。それが言えればいい。
そして、助けてもらったら”ありがとう”と感謝できればいい。
なるほど。
また別の話。
ダウン症でありながら書家として活躍する金澤翔子さんを取り上げた番組について、障害児のママ仲間で話していた時のこと。
私なんかは単純に
”あー、バンビにも何か1つでいいからこういうの(才能?)があればなぁ。”と思って見ていたのだけど。
あるママは
「障害者だからって、そういう何か特別な才能がなくちゃいけないの?
そういうのがなくたってちゃんと生きていけることこそ大事だよね。」と言ってて
(言葉は違うかもしれないけど、ニュアンスとしてはそういうカンジ)
これまた なるほどーと思ってしまった。
番組の作り方が ”障害者だけどこんなに素晴らしい才能を持っているなんて、ほら、感動するでしょう?”的なニオイがするからなー。
抵抗なり違和感を覚えるのは それはそれでわかる気がする。
もちろん、翔子さんのお母さんはただ 子どもが将来(障害があるがゆえに)孤独に過ごすかもしれないことを考えて、一人でも打ち込めることをさせたいと書の道にいざなっただけなんだろうけどね。
あーいうの見ちゃうと、”うちの子にも何かないか、きっとあるはず。”って親が前のめりになりがちだもんね。(私なんてまさにドンピシャ?)
障害者であるがゆえに争うことや誤魔化すことを知らないピュアな魂が表現するアートには確かにすばらしいものがあったりするし
障害に起因する優れた能力(記憶力とか計算力とか)を持ってる人がいるのも事実。
だけど、大多数の障害者はそんな特別な才能はないままに誰かの支援を受けて暮らしているというのが現実。
だけど、障害者であろうとなかろうとその人がそこに在るということ、ただそれだけの、ありのままが尊重される、そういう世の中であれば素晴らしいよね。
どっちの話も、ついつい頑張らなきゃと気負ってしまう私にはいい教訓かも。
障害者だからって、別にそんなに必死にならなくていい。
あるがままの我が子を認めて慈しんで生きていけばそれでいい ってことなんだよね、きっと。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
PWS児って結構人懐っこくて物怖じしないので、意外とうまく人に甘えたり、妙な裏技使って事態を切り抜ける事がありますよ(悪い方にも知恵回りますが)。
うちの子は金額の大小の把握が苦手なのですが、ソーシャルスキルトレーニングでカレーの材料買出しをさせられた時、ちゃっかりスーパーの店員さんから電卓借りて買い物してたらしい。定期券を学校に忘れた時も、駅員さんに交渉して切符貰って帰ってきちゃったし(汗)。後で駅員さんに謝りに行ったら、結構きちんと状況説明して乗り継ぎ指定までしてたらしい。喜んで良いのか怒った方が良いのか・・・。家のぼさっとした健常児よりたくましいかも。
そうですよね、私自身が小さい頃親が何を期待したか(期待してじゃなかったのかもしれないけど)いろんな習い事させてくれたましたが、モノになったものがあるわけじゃなし...。
ほんとに、何かあったらめっけものですよね。
私も翔子さんのお母さんと同じように、将来息子が余暇を楽しめるような何か、できればそれで人とつながるきっかけになる何かが見つかれば それで十分と思っています。
それにしても、お子さん たくましいですね。
ちゃんと自分で交渉して世の中を渡っていけてるのがすごいです。
”人懐っこくて物怖じしない”はうちも当てはまるので、将来そんな風になってくれたらいいなと思いました。
困ったをしっかり発見してお灸をすえる、うれしいを一緒に喜ぶを心がけて、何とか子供のいい面を定着させたいものです。
私としては「こうゆう才能的な事があったら良いのに」とも思いましたが、どちらかと言うと「障害をアピールしてる!!」と、障害を付加価値のようにしてるような悪い感じに捉えてしまってました
どうも最近、悪い方に考えがちで。。。
幼稚園ではPWSを隠してるわけではないんですが、カミングアウトしていません。
「ウチの子、障害児なんです」と言う事で得られる事もあると思うんですけど、逆に「障害児なんで多めに見て下さい」って言ってると思われるのかな?とか…。
園ママと話してる時も適当にごまかしちゃってます
suzuさんの話を読んで、誰かに頼れるようにする事より、なるべく誰かに頼らずに済むようにしようとし過ぎてるのかなーと思いました。
いつもちょっとしたことでつい叱ってしまうのですが、ほんとにいけない・困ったことをしっかり叱り、嬉しい・良いことを一緒に喜び、誉めてあげられるように私も心がけていきたいと思います。
カミングアウトする・しないは、それぞれに善し悪しもあるだろうし、周囲の状況にもよるだろうし、考え方は人それぞれだと思います。
ただ、「障害児なんで大目に見てください。」って言ってると思われるどうかは、こちらの姿勢次第なのかなーという気もします。
そういう気持ちがあることも、親としては無理からぬことだしね。
ただ、それを前面に押し出せば相手もそう感じるだろうし。
誰にも頼らずにやっていけるならそれに越したことはないですよね。
ただ、うちはそれはちょっと難しいようなので、それなら 相手が気持ち良く助けてあげたくなるような子になったらいいなーと思います。
あんまり難しく考えず、その時その子に合ったやり方で何となく でいいかもしれないけど。