自分が母になるまでは、街で障害者とその親御さんが連れ立って歩く姿を見て”大変なんだなぁ”くらいの関心しか持ったことがなかった。
でも、当事者になってからは「私もこの先ずーっとバンビと連れだって歩くことになるんだろうか?」と思うと、正直何だかずっしり重たい気持ちになってしまう。
医療機関などでは成人した障害者に年老いたご両親が付き添っている姿を見かけることがある。
ご本人が何かで興奮したのかパニックになったのか暴れ始めたのを、老いた父親が必死に抑えようとしている姿に出くわした時は、見ていて何だか暗澹たる気持ちに陥ってしまった。
社会で支えるということはできないのだろうか? お金の問題?システムの問題?
普通なら子育てに手がかからなくなれば、親には自分の時間が戻ってくるわけで、夫婦で共通の趣味を楽しんだり、旅行に行ったり、リタイア後の生活を楽しんでいる人はたくさんいるはず。
うちもまだちょっとは先だけど、でもオットが定年になったら二人でどういう生活になるんだろうなぁ?と思って、割と楽しい夢を描いていたんだけど。バンビを置いて夫婦2人で旅行なんて無理なのか?と考えると、夢は夢でしかなくなったような気がしてならず...。
障害者の親が「叶うことなら、1日でいいからこの子より長く生きたい」と口にするのを何度か見聞きしてきた。
心配で死ぬに死に切れない。せめて我が子の人生を見届けてから死にたい。
私も心のどこかでそう願う気持ちがあるし、障害児の親ならきっとかなり多くの人が一度はそう思ったりするんじゃなかろうか。
うちなんて超高齢出産だし、確実にバンビのことを残して先に逝くことになる。
兄弟もいないし、だから自分達親亡き後のバンビの人生を想うと心配で、”今、自分がまだ元気なうちに何がしてやれるだろう?”って考え始めたら夜眠れなくなってしまう程。どこか焦りに似た気持ちになってしまうことがある。
ずっとバンビに寄り添って生きていくことはできないなら、この手を離して誰か他の人に委ねるしかない。
バンビはまだ5歳だけど、でもそのための準備を今からでもスタートして早すぎるということはないと思っている。
例えば 他者を受け入れる、他者に受け入れられる子に育てるということ。
っていうと大層なことのように聞こえるけど、例えば挨拶ができるとか、コミュニケーションが取れるとか、そんな基本的なことから身につけておけばいいのかなと。
愛想の良さで人に好かれる作戦も良し。でも、これはPWSの子は問題ないけど。(笑)
公共の場所・公共の乗り物に慣れさせることと、社会のルールを教えること。
順番が守れるとか、大きな声で騒がない・走り回らないとか。
社会の中で生きていくのに最低限身につけておかなくちゃいけないことは、小さいうちから教える必要があると思う。
地域との接点と交流を増やしていくこと。
この子達は地域の中で生きていくしかないのだから、ずっと一生ここに住むかどうかは別として、バンビの理解者・支援者を地域に増やしていくことも親の務めなのかな。
これらのことは”バンビに対して”私ができることなんだけど、後は例えば公共の機関(んー、例えば学校とか役所とか福祉団体とか?)に対しての働きかけだって必要になってくるだろうし、そのためには親として自分自身が勉強していかなくちゃいけないことってたくさんある気がする。
例えば、障害者自立支援法のこととか?
将来、ガイドヘルパーさんに付いてもらってお出かけしたりするにも、支援費がどうの、受給証がどうのって、正直今は何のこっちゃ?なことばかり。
もちろん就学という大きなハードルを前に特別支援教育についても関心は大なんだけど、それはある程度レールが見えているというか、どの路線選ぶにしても既にレールは敷かれているわけだから。
それより、例えば放課後や夏休み等の本人の余暇活動とか、家族のレスパイト・ケアとか、何か形の見えないモヤモヤとしたものが”どーなっとるんかな?不十分ならどうしたらいいのかな?”というカンジ。
でも1人でできることには限界もある。
だーっと走っていっても、振り向いたら一人 っていうのじゃイヤだし、それには最初から大風呂敷広げてもね。
だから卑近な、イヤ身近なことから少しずつ仲間を作って共に歩いて行けたらと思う。
我が子の手を放し、誰かに委ねるために、親同士仲間になって手をつないでいきたい。
まぁ、これはあくまで私個人の考えであって、”そんな必要あるのかいな?考えすぎじゃないの?”って思われることもあるのかもしれないけど...。
或いは”子どもは親が看るしかない”っていうのが実情なのかもしれないし、”日々の生活でいっぱいいっぱいで、将来に向けてのことなんて今考える余裕ありません。”って人もいるのかも。
考え方は人それぞれでいいと私は思うけど。
でも
障害児の母親(&父親)の皆さん、今子どものためにどんなことしてますか?
将来の我が子のためにどんなことしていったらいいですか?
それらが私にもできるのならば、私は是非動いていきたいのです。
バンビが、バンビを含めた障害を持つ子ども達が、少しでも幸せに生きられるようにしていくことが、今や私の生きるテーマだと思うから。
口だけじゃ、気持ちだけじゃダメなんだ! 実際に1歩前に進まなくちゃ。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
でも、当事者になってからは「私もこの先ずーっとバンビと連れだって歩くことになるんだろうか?」と思うと、正直何だかずっしり重たい気持ちになってしまう。
医療機関などでは成人した障害者に年老いたご両親が付き添っている姿を見かけることがある。
ご本人が何かで興奮したのかパニックになったのか暴れ始めたのを、老いた父親が必死に抑えようとしている姿に出くわした時は、見ていて何だか暗澹たる気持ちに陥ってしまった。
社会で支えるということはできないのだろうか? お金の問題?システムの問題?
普通なら子育てに手がかからなくなれば、親には自分の時間が戻ってくるわけで、夫婦で共通の趣味を楽しんだり、旅行に行ったり、リタイア後の生活を楽しんでいる人はたくさんいるはず。
うちもまだちょっとは先だけど、でもオットが定年になったら二人でどういう生活になるんだろうなぁ?と思って、割と楽しい夢を描いていたんだけど。バンビを置いて夫婦2人で旅行なんて無理なのか?と考えると、夢は夢でしかなくなったような気がしてならず...。
障害者の親が「叶うことなら、1日でいいからこの子より長く生きたい」と口にするのを何度か見聞きしてきた。
心配で死ぬに死に切れない。せめて我が子の人生を見届けてから死にたい。
私も心のどこかでそう願う気持ちがあるし、障害児の親ならきっとかなり多くの人が一度はそう思ったりするんじゃなかろうか。
うちなんて超高齢出産だし、確実にバンビのことを残して先に逝くことになる。
兄弟もいないし、だから自分達親亡き後のバンビの人生を想うと心配で、”今、自分がまだ元気なうちに何がしてやれるだろう?”って考え始めたら夜眠れなくなってしまう程。どこか焦りに似た気持ちになってしまうことがある。
ずっとバンビに寄り添って生きていくことはできないなら、この手を離して誰か他の人に委ねるしかない。
バンビはまだ5歳だけど、でもそのための準備を今からでもスタートして早すぎるということはないと思っている。
例えば 他者を受け入れる、他者に受け入れられる子に育てるということ。
っていうと大層なことのように聞こえるけど、例えば挨拶ができるとか、コミュニケーションが取れるとか、そんな基本的なことから身につけておけばいいのかなと。
愛想の良さで人に好かれる作戦も良し。でも、これはPWSの子は問題ないけど。(笑)
公共の場所・公共の乗り物に慣れさせることと、社会のルールを教えること。
順番が守れるとか、大きな声で騒がない・走り回らないとか。
社会の中で生きていくのに最低限身につけておかなくちゃいけないことは、小さいうちから教える必要があると思う。
地域との接点と交流を増やしていくこと。
この子達は地域の中で生きていくしかないのだから、ずっと一生ここに住むかどうかは別として、バンビの理解者・支援者を地域に増やしていくことも親の務めなのかな。
これらのことは”バンビに対して”私ができることなんだけど、後は例えば公共の機関(んー、例えば学校とか役所とか福祉団体とか?)に対しての働きかけだって必要になってくるだろうし、そのためには親として自分自身が勉強していかなくちゃいけないことってたくさんある気がする。
例えば、障害者自立支援法のこととか?
将来、ガイドヘルパーさんに付いてもらってお出かけしたりするにも、支援費がどうの、受給証がどうのって、正直今は何のこっちゃ?なことばかり。
もちろん就学という大きなハードルを前に特別支援教育についても関心は大なんだけど、それはある程度レールが見えているというか、どの路線選ぶにしても既にレールは敷かれているわけだから。
それより、例えば放課後や夏休み等の本人の余暇活動とか、家族のレスパイト・ケアとか、何か形の見えないモヤモヤとしたものが”どーなっとるんかな?不十分ならどうしたらいいのかな?”というカンジ。
でも1人でできることには限界もある。
だーっと走っていっても、振り向いたら一人 っていうのじゃイヤだし、それには最初から大風呂敷広げてもね。
だから卑近な、イヤ身近なことから少しずつ仲間を作って共に歩いて行けたらと思う。
我が子の手を放し、誰かに委ねるために、親同士仲間になって手をつないでいきたい。
まぁ、これはあくまで私個人の考えであって、”そんな必要あるのかいな?考えすぎじゃないの?”って思われることもあるのかもしれないけど...。
或いは”子どもは親が看るしかない”っていうのが実情なのかもしれないし、”日々の生活でいっぱいいっぱいで、将来に向けてのことなんて今考える余裕ありません。”って人もいるのかも。
考え方は人それぞれでいいと私は思うけど。
でも
障害児の母親(&父親)の皆さん、今子どものためにどんなことしてますか?
将来の我が子のためにどんなことしていったらいいですか?
それらが私にもできるのならば、私は是非動いていきたいのです。
バンビが、バンビを含めた障害を持つ子ども達が、少しでも幸せに生きられるようにしていくことが、今や私の生きるテーマだと思うから。
口だけじゃ、気持ちだけじゃダメなんだ! 実際に1歩前に進まなくちゃ。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
将来的には、PWS・地域・知的障害者・すべての障害者、いろんな輪がつながり合い、重なり合うようになればいいなと思います。
”求めよ、されば開かれん。”
真に望めば必ず道は見えてくるのでしょうね。
将来はその先にぼんやり見えるくらいのものです。
私の町は、3万人くらいの人口ですから、100人くらいの知的障害者・児しかいませんし、PWSときたら多分ゆみと50歳代の人がひとりいるくらいです。
いるくらいと言うのは、30歳過ぎくらいから問題行動が酷くて、今は施設入所されています。
多分、高齢のお母様はわが子がPWSだと言うこともご存知ないかもしれません。
ゆみが養護学校の高等部に入った時に、育成会に入りました。
たった一人しかいないPWSとしては、他の知的障害の人たちとの関わりがこれから大切に成ると思ったからです。
必要な時がくれば、自然に道が現れると思うんですよね。
うららさんと同じなるようになるさです。
同志の存在は心強いし、私もがんばろうって気持になる。
福祉って自治体によっていろいろ状況は違うけど、でもお互い同じ都内だからいずれ横並びになっていくことも多いと思う。
共にいろいろ学んだり、情報交換していこうね!
最近HPチェックしてなくて、K大のiPS細胞がらみの研究の件は見落としていたよ。
うちも参加しようと思います。ありがと。
ももママさんのところはPWSの仲間もいるし、やれることはいろいろありそう。
実際、ももママさんもいろいろ勉強したり、ネットワーク広げているんだもんね、偉いと思ってます。
お互い大いに愚痴り合いながら、ポジティブにポジティブに、不安を払拭していきましょー!
私も基本的には、”きっと大丈夫”と思ってるんですけどね。信じる者は救われる的なお気楽発想です。
物事を悪い方に考えて良いことは何もないので、ケセラセラもいいと思いますよー。
やっぱ実際には地元の地盤に沿ったやり方に従わないといけない訳だから、SUZUさんの言うとおり・・今から将来をみこして地元密着型の活動をするべきだと思うよ。
周囲に協力者を多く作り、協調してくれる仲間を増やし、環境を整えていく。
これが結果的に最善策なんじゃないかな?
決して他人事ではなく、自分から進んで環境整備に加わっていく!!
その方法や手段は、、きっとそういう気持ちを持ち続けていけば、いつか自然に導かれていくんじゃないかな? ←甘いかな?
ただ何もせずに”待ってるだけではダメ!!”
自分で出来ることからまずは行動しなくちゃね!?
まあ、SUZUさんも私も待っていられないから、勝手に歩き出すタイプだけどね。。
勿論あなたのほうが慎重よ。私は考える前に行動しちゃうからさ。。困ったもんだ。。。
さて、、そんな私が現在携わってること・・・・・
●小児慢性の申請基準の変更や成人の治療に関して、難病指定に関して・・・只今勉強中!?
●竹の子の会HP・協会HPで協力申請されている研究参加表明中 ←知らなければHP見て!誰でも閲覧できるから。
●就学に向けて、地元の学区担当議員と意見交換と相談要請中。
●世田谷プール開催中!・・・PWS幼児との水泳を通じての交流と情報交換。またお手伝いの大きいお子さんを通じての貴重な交流。
●積極的に多方面のPWS児・者や親との交流
今後積極的に始めたいこと
○特別支援に関して勉強して、今後のためにやるべき道を探り活動する。〔今は全くの未知の状態〕
○GHなど施設訪問して環境問題に取り組みたい。
○心理の勉強を持続して、周囲の心理ケア面で貢献できれば・・。〔今は時間がなくて全く出来ていない〕
くらいな感じかな?
「今、自分に出来ることを全力投球!!」がモットーで行けるとこまで進むつもり♪
suzuさんがいてくれるから、いつも心強いし、勉強になるよん!!ありがと♪
地域は違うけど、、、相談協力してこれからもよろしくね~~~♪♪♪
長く語りすぎ??ハハハ。
私がいつも思っていることばかりなので、よくわかります
うちも一人っこ。お互いの兄弟とも疎遠で、地域でもあまりネットワークないし。
いくら高齢でももう一人生みたい!と思う私と、それに反対の主人(理由はいろいろあるみたい)
「叶うことなら、1日でいいからこの子より長く生きたい!」と、疲れているときなんていつも感じます。
2年先の就学よりも、実は、娘の老後のことばかり考えている今日この頃です
考えてるばかりで、結局何も進展もなく、不安ばかりが先立って、いつも夫婦喧嘩ばかり
私も娘のために今からでもできること、今じゃなきゃできないこと、本当に知りたいです
不安ばかりの毎日です。
周囲の協力や理解を得るのって、本当に大変だな、って思う今日この頃です。自分ももちろん協力できることはしたいけれど、余裕もなくて。。。。
(愚痴ばかりで失礼しました。。。)
私が能天気なのか、自分は元気で長生きすると思い込んでいるのか、子どもが残ったらどうなるか…ってところまで考えが及ばないんです。考えるのを避けてるのかも?
なるようになるさ~なんていうのはだめかな?
ただ法律ってできたらそれで終わりじゃなくて、人がそれを使う上で使いやすいように変えていく必要があるものなんですよね?
見直しについてもいろいろ言われているのを耳にしますが、この先どうなるのかを見守っていきたいと思います。
ゆみさんもいろいろなことにトライしているんですね。徐々に馴染んでいけたらいいですね。
確かに、親の介護の次は自分が介護されることにならないように、私もがんばっていかなくては...。
うまく使いこなせればですけどね。
10年間は、試運転と言ったところでしょうか。
バンビ君が大きくなった頃には、ちゃんとした法律になっているように、私たちが使いながら直していかなくてはいけませんよね。
措置の時代のようにどんぶり勘定で、事業所も家庭もいられないということでしょうね。
お金の流れを明確にするのは、とても大事なことだと思います。
無理のないように、手を離していきましょう。
ゆみは、7月から月に1週間訓練ホームに泊まり、そこから作業所に通っています。
世話人がついて、5人くらいで集団生活する訓練をして、相性をみてからグループホームに移行していくつもりです。
私も高齢でゆみを産んだので、30歳になるまでには自立させないと、私のほうが介護になってしまいそうです(笑)