前から気になっていたドキュメンタリー映画「1/4の奇跡 ~本当のことだから~」を幼児グループが自主上映してくれることになったので、家族で観てきました。
ホームページはこちら → 「1/4の奇跡」
観終わった直後、アンケートへの感想欄には
「障害児の親になって8年。
我が子の障害を受容したつもりでも、つい”どうしてこの子は・・・(こうなのか、できないのか)とか”この子が障害児でなかったら”と思ってしまうことがある。
でも、今日この映画を観て改めて心の原点に立ち返り、”あなたはあなたのままでいい。私は私のままでいい。”と唱えながら、日々を過ごしていきたいと思いました。」
と書いた。
もちろん、それはそれで正直な気持ちなんだけど。
でも、なーんかモヤモヤした気持ちがしこりのように残って...
それは調度先日「24時間テレビ」をチラ見した時に感じたことと同じだった。
(今回 PWSのお子さんが出演されていたそうですね。
私は後になって知ったので、そのシーンを観られなくてとても残念。)
あそこに出ている障害者の方々の才能や、チャレンジする勇気や努力はほんとに素晴らしいことだと思う。
それ自体に異議はない。
ただ、あーいうのを見ちゃうと
親なら、”うちのコにも何かあるかも。”って将来に希望を持ったりする。
ま、それはそれで良いよね。
でもつい”うちのコにも何か好きなことを見つけてやって、それを伸ばしてやれるように、親の私が頑張らなくちゃ。”って思ったりするでしょ。
でも、実際にはそーんな簡単には見つかならかったりするから
それで ”あぁ、やっぱり何もないのか...”と勝手にがっくりしたりして。
だけど、健常者にもすごい才能がある人もいるけど、大多数の人はそんな特別なものは持ち合わせていないわけで
障害者だってそれは同じなんじゃないかと思う。
それなのに、”障害者は何か特別な能力を持ってるんです。ほら、すごいでしょう。”っていう見せ方をされて
視聴者も”障害者なのに、すごいね。”って感動して。
それに抵抗という程でもないけど、違和感を覚えるんだよね。
何か上から見下されつつの、一時的な感動を煽られてる感とか。
親が追い立てられてしまうところもイヤで。
(それは力及ばない未熟な親=私 の単なる言い訳?僻み?かもしれないけど。)
もちろんああいうテレビ番組に取り上げられることで、障害者のことを知ってもらう機会になることはすごく意味があると思う。
私自身もこのブログを書いているのは、PWSのことを知ってもらいたいという気持ちがあるからだし。(それが全てではないけど。)
でも別にあんなスペシャルな1日を見せなくても、もっと何気ない
”こんな支援があれば、障害のある人もこんな風に日常生活を送れます”ってことで
実際に楽しく学校に通っている子どもとか、毎日コツコツお仕事頑張ってる姿とか
そういうのを見せてほしいと思うんだけど。
まぁ、絵的には華がないかもしれないから、テレビ向きじゃないだろうけどね。
でも本来伝えてほしいのは、”障害者はこんな能力を持ってる特別な存在です”ってことじゃなく
”障害者も支援があればみんなと同じようにやっていけるんです”ってことなんじゃないんだろうか?
そういう意味では「1/4の奇跡」も同じで
主人公?の特別支援学校の先生である山元さんがご自分の教え子のことを「子ども達はそれぞれみんなすごい能力を持っているんです。」と語る展開に
”あぁ、またそう来るんだ...”って、思っちゃったんだよねー。
確かにあそこに登場している生徒さんの書く詩は心を打つし、絵も素敵なんだけど。
でも、別に絵が描けなくても、ピアノが弾けなくてもいいじゃない。
障害が重度で自分の身の回りのことが自分で何1つできないとしても、例えば家族にとってはその人は大切なかけがえのない存在なんだよ。
誰にとってもその人がそこに在るだけでいい。命は尊いものだから。
※さらにこの後の展開にもっとモヤモヤすることになるのだけど
長くなるので、別の記事にします。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
ホームページはこちら → 「1/4の奇跡」
観終わった直後、アンケートへの感想欄には
「障害児の親になって8年。
我が子の障害を受容したつもりでも、つい”どうしてこの子は・・・(こうなのか、できないのか)とか”この子が障害児でなかったら”と思ってしまうことがある。
でも、今日この映画を観て改めて心の原点に立ち返り、”あなたはあなたのままでいい。私は私のままでいい。”と唱えながら、日々を過ごしていきたいと思いました。」
と書いた。
もちろん、それはそれで正直な気持ちなんだけど。
でも、なーんかモヤモヤした気持ちがしこりのように残って...
それは調度先日「24時間テレビ」をチラ見した時に感じたことと同じだった。
(今回 PWSのお子さんが出演されていたそうですね。
私は後になって知ったので、そのシーンを観られなくてとても残念。)
あそこに出ている障害者の方々の才能や、チャレンジする勇気や努力はほんとに素晴らしいことだと思う。
それ自体に異議はない。
ただ、あーいうのを見ちゃうと
親なら、”うちのコにも何かあるかも。”って将来に希望を持ったりする。
ま、それはそれで良いよね。
でもつい”うちのコにも何か好きなことを見つけてやって、それを伸ばしてやれるように、親の私が頑張らなくちゃ。”って思ったりするでしょ。
でも、実際にはそーんな簡単には見つかならかったりするから
それで ”あぁ、やっぱり何もないのか...”と勝手にがっくりしたりして。
だけど、健常者にもすごい才能がある人もいるけど、大多数の人はそんな特別なものは持ち合わせていないわけで
障害者だってそれは同じなんじゃないかと思う。
それなのに、”障害者は何か特別な能力を持ってるんです。ほら、すごいでしょう。”っていう見せ方をされて
視聴者も”障害者なのに、すごいね。”って感動して。
それに抵抗という程でもないけど、違和感を覚えるんだよね。
何か上から見下されつつの、一時的な感動を煽られてる感とか。
親が追い立てられてしまうところもイヤで。
(それは力及ばない未熟な親=私 の単なる言い訳?僻み?かもしれないけど。)
もちろんああいうテレビ番組に取り上げられることで、障害者のことを知ってもらう機会になることはすごく意味があると思う。
私自身もこのブログを書いているのは、PWSのことを知ってもらいたいという気持ちがあるからだし。(それが全てではないけど。)
でも別にあんなスペシャルな1日を見せなくても、もっと何気ない
”こんな支援があれば、障害のある人もこんな風に日常生活を送れます”ってことで
実際に楽しく学校に通っている子どもとか、毎日コツコツお仕事頑張ってる姿とか
そういうのを見せてほしいと思うんだけど。
まぁ、絵的には華がないかもしれないから、テレビ向きじゃないだろうけどね。
でも本来伝えてほしいのは、”障害者はこんな能力を持ってる特別な存在です”ってことじゃなく
”障害者も支援があればみんなと同じようにやっていけるんです”ってことなんじゃないんだろうか?
そういう意味では「1/4の奇跡」も同じで
主人公?の特別支援学校の先生である山元さんがご自分の教え子のことを「子ども達はそれぞれみんなすごい能力を持っているんです。」と語る展開に
”あぁ、またそう来るんだ...”って、思っちゃったんだよねー。
確かにあそこに登場している生徒さんの書く詩は心を打つし、絵も素敵なんだけど。
でも、別に絵が描けなくても、ピアノが弾けなくてもいいじゃない。
障害が重度で自分の身の回りのことが自分で何1つできないとしても、例えば家族にとってはその人は大切なかけがえのない存在なんだよ。
誰にとってもその人がそこに在るだけでいい。命は尊いものだから。
※さらにこの後の展開にもっとモヤモヤすることになるのだけど
長くなるので、別の記事にします。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
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