バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

ことばと差別の問題

2008年02月08日 | suzuのメッセージ
この記事を書くきっかけになったのは、メンバーとして関わっている区の子育てマップ制作で「子どもの発達に悩んだら」というタイトルのコラムを書かせてもらったんだけど、校正の段階で「障害」を「障がい」に置き換えるか?という話になったこと。

確かに「障害」という言葉を「障がい」とか「障碍」に置き換えている文章をよく目にする。
それはそれで構わないけど、私自身はそれに”あえてこだわりたくない”という考えを持っている。
「障害者」という言葉は、「身体(脳を含めて)や精神のどこかに何らかの”障害”=機能しないところ を持っている人」という意味だと認識しているから。

でも世間一般には 障害があるというだけで不当に差別されて、まるでその本人が”障害”であるかのように言われることがあるというのも事実で、それを嫌って(あるいは語感とか文字の意味合いから)「障害者」という言葉を避けたり言い替えをするんだということも理解はできる。

だから当事者(及び家族とか直接的な関係者含めて)がそうするのは構わないと思うんだけど、当事者以外の人がするのは、その気遣い(なのか?)が言葉は悪いけどかえって疎ましく感じたりもして...。別に逆差別だとまでは言わないけど。

イヤなのはことばに込められる意味とかニュアンスであって、その言葉自体には別に何も問題ないのに と思う。
でもそういう意味やニュアンスも含めて言葉は存在するのかもしれないけど。
うーん、難しいなぁ。

差別を避けるために言葉を置き換えても、差別する心がある限り いたちごっこなんじゃないかな?
その昔、精神薄弱を”セーハク”と言って差別的に使われて「知的障害」に言い換えるようになったけど、今だって”チテキ”と言って差別的に用いられることはよくある話だし。

最近は日本でも健常者のことを「メインストリーム(主流)」、障害者のことを「チャレンジド」と呼ぶようになって、その言葉をよく目にするようになった気がする。

最初”言いにくいのに何でチャレンジド?”と思ったけど、challenger(挑戦者)ではなくchallenged(挑戦を受ける者)というところがミソ?らしい。
つまり”(神から)挑戦すべきことを与えられた人”という意味。このヘンいかにもアメリカ的。まぁ、確かにポジティブ思考ではあるけど。

でも私個人的には”メインストリーム”も”チャレンジド”も正直あんまりいいとは思わないなぁ。
別に理屈じゃなく、単に”健常者=主流”っていうことに驕りみたいなにおいを感じて抵抗があるだけだけど。(考えすぎか?)
”チャレンジド”も、彼らがその挑戦を望んでいるかどうかもわからないのに無条件に挑戦させられてしまう(?)ような、その一方的なカンジがちょっとね...。

前にも書いたけど、問題は言葉そのものではなくてそこに込められる意味とかニュアンス、つまりは気持ちの問題なのでは と思う。
だからこそ 言葉に込められた意味とかニュアンスに引っかかると、その言葉自体が受け入れ難くもなってしまうんだけど。
あれ? 堂々めぐり? 

段々何を書いてるのかわからなくなりつつ、でもまだ書きたいことはあるので、この続きは改めて別の記事に。

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みぞれ降る中

2008年02月06日 | 日々の出来事
私達夫婦は毎年夏に健康診断を受けているのだけど、私は前回オプションで受けた乳がん検診のマンモグラフィーで引っかかってしまった。
出産以来検査する度に”乳腺症の疑いあり”で、”癌じゃないとは思うけど一応経過観察”というカンジのことを言われる。

で、今日は半年後再受診ということで、近くの大学病院でエコーとマンモの予約をしていた。
バンビは連れて行けないので、一児保育をしてくれる近所の保育園に預ける。

うちは車がないし、何より私は運転できないので、こんなみぞれの中でも移動手段は自転車。
寒いし顔は痛いし、何でこんな日にこんな思いして出かけなくちゃならないんだろーと、ちょっと愚痴の一つも言いたくなる気分。

でもバンビはというと、1ヶ月前にも用があってこの保育園で一時保育をお願いしたので、すっかり慣れたのか楽しげに遊んでいた様子。

「えっとー、あーってなってぇ、パーってぇ、あむあむ(食べるマネ)でー、パパ。
でー、パーってぇ、あーあぁあぁでぇ、えんえん(泣くマネ)あやぁ(=ママ)。うんとー、でー・・・(エンドレス)」
と、ずーっと 何だかよくわからないことばで私に一生懸命話をするバンビ。

なので私も「あむあむしたの?そう良かったねぇ、おいしかった?」とか
「えーっ、ママがえんえんなのぉ?」とか相槌を打つ。
そうすると益々嬉しそうに バンビのよくわからないけど楽しそうな会話は続いていく。
わからなくてもそういうバンビを見ていると何だか嬉しい。

今日はちゃんとトイレでおしっこもして、とってもいい子だったバンビ。
おやつのおかわりも1回は要求したものの、2回目がないことを素直に納得したらしい。
でも私と離れてやっぱり寂しかったのか抱きしめてやると、ぎゅーっと抱きついてきたりして...。
夕飯も食べず、お風呂も入らず そのまま寝てしまった。がんばったんだね、バンビ!

赤ちゃんの頃のバンビを知ってくれている保育士さんが「大きくなって、しっかりしてきましたね。もうお兄ちゃんですね。」と嬉しそうに言ってくれたりするのもとってもありがたくて。
みぞれの中チャリ漕いで寒くて辛かったこともどこかに吹き飛ぶような、温かい気持ちで胸がいっぱいになった。

たまにはこんな風に親と離れて社会体験(?)することも きっと大事なのかもね。バンビにとっても親である私にとっても。

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落ちてます

2008年02月01日 | 日々の出来事
幼児Gにはバンビのような障害児もいれば、単にことばが遅れがているだけとかの比較的軽度(あるいはボーダーライン)の子もいる。

ずっと療育を積み重ねていくと、どの子もみんなそれなりに成長する。
最初泣いてばかりだった子がちゃんと座って指示どおりに行動できるようになったり、ぜんぜんしゃべらなかった子が急におしゃべりになってきたり。

バンビだってもちろん バンビなりには成長している。それは誰より私がいちばんよくわかってること。
でも、他の子と比べてしまうと、特に知的な面ではどうもかなり遅れているのかなぁと思うことが多くて...
比べることに意味はないとわかっていても、時々どうしようもなく凹んでしまう。

本当に一向にことばが増えない。
こちらの言ってることはかなり理解していると思うんだけど、それもどこまでちゃんとわかってるのかがよくわからないことが多い。

例えば 赤と青の色の違いはわかってるけど、あか・あおと発音できない。
(何か2音を発するのだけど、どう聞いても あか・あおとは聞こえない)
実際に色を見れば識別できても、あか・あおの音声だけだと色を判別できてるのかできてないのかが曖昧。

数字の概念もどこまで理解しているのかわからない。
我が家は3階で、テレビも教育テレビ(3チャンネル)が見たいから、3という数字は識別できているようだけど、単に文字としての3を覚えているだけで、数の概念がわかってるのかわかってないのか いまいちわからない。(ってことはたぶんわかってないんだろうけど。)
どーしてなんだろう?
もう春には5才になろうというのに、中身はいまだに1才か2才児のまま。

何が悪いんだろうか? 私の関わり方の問題なのか?
ついそんな風に考えてしまう。
何をしてやったらいいんだろう? いつも模索してばかり。

別に焦るつもりはないし、知的に遅れていてもバンビはバンビで我が愛する息子であることに変わりはないのだけど、ときどきこうして煮詰まってしまう。
いつかはバンビも大きくステップアップする日が来ると信じているけど...
今はちょっと弱気な母モード。

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コメント (21)
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