ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

梅酒が飲めない

2011年06月22日 | よもやまばなし
陸前高田市の海水をかぶった畑の土を
福岡のボランティアが持ち帰り
研究機関に調べてもらったところ
「とうもろこし」か「ひまわり」を植えると、
塩をどんどん吸ってくれると分かったそう。

大輪のひまわりの種が、全国から寄せられ、
今月はじめに畑一面に植えられ、もう双葉の芽が出てきたというニュース映像を見た。

一年限りのひまわり畑…
黄色は「希望」の色。
さぞかし、きれいだろうな。

テレビのインタビューで現地の人は、
「私たちは、生かされてる。ひまわりは犠牲になられた方への供養だ。」
と話されていた。
希望と言いつつ、つらいだろうと思う。

私の「震災対策心のケア講座」も予定されていた6回が終わり
一区切りついた感じ。

そのせいか、私は「だんしゃり」
どんな字を書くんだっけ?
断捨離?だっけ
しようかと、

ずっと、ずっと気になっていた台所の奥にある
母が生きていたころに持ってきてくれた
使わないままになっていた食材を
ようやく処分しようという気になった。

母が亡くなって2年半も経つのに
手付かずのまま、
もう賞味期限が切れているのは分かっているのに
そのままにしてしまっていた。

韓国のり、乾麺、だし…。
震災で困っている人がいるというのに、申し訳ない。

生前、母は「こんにちは~」
満面の笑みを浮かべ、大きな声で
両手に大きなかばんを提げ、私の家の玄関に現れたものだ。
孫に会うのを本当に楽しみにしていた。

ひざが悪いのに、母は別に田舎でなくても、こっちでも買えるような物を
重たい思いして、わざわざ、持ってくる。

「もう、いいのに」
と言いつつ、台所の奥の棚にお蔵入りしてしまっていた食材。
だいぶ処分してすっきりした。

すると、一番奥に「梅酒」が2瓶。
母の手作りの「梅酒」が。

小さいころ、風邪を引いたときに
「ちょっとだけ飲んでいいよ。これで、あったまって寝なさい。」
と、飲ませてくれる母の手作りの甘い梅酒が大好きだった。

ああ、一番奥の「梅酒」は、きっと飲めるだろうに
手が伸ばせないまま。

今日の片づけは、ここで終わり。

お皿を洗っていたら、涙があふれてきた。

大切な人を失うというのは
こんなにも辛いことなのだ。

私の「喪の作業」は、まだ、途中。
コメント (3)
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