池波正太郎さんの『小説の散歩道』という本を読んでいたら、こんな言葉が出てきた。
「東大寺の結解(けっけ)料理」の項に「結解料理」。
わたしは初めて見る。
浅学なんですねえ。
こんな場面。
《奈良東大寺に古くからつたわる結解料理は、夜の宴席の演出によって、「むかしをしのぶ…」想いと、味わいが、さらに深まることになるのであろう。
「むかしむかしから、寺の重要な法会が終ったときとか、それからなんです、年貢米を納め終えたときとか……ま、そうしたときに、寺が出した料理なんですな」
(略)
列席した司馬遼太郎、入江泰吉、小清水卓二、須田剋太、岡部伊都子の諸氏の間で、結解料理の、結解の意味が、なんてあろうか?との会話がしきりにかわされる。寺のほうでも、よくわからぬらしい。》
話の内容にも興味が湧くのだが、ここに出てきた人名にびっくり。
池波正太郎さんと司馬遼太郎さんたちが同席とは!
ま、あり得ることですけどね。
『コーヒーカップの耳』(今村欣史著・朝日新聞出版刊)。 おもしろうてやがて哀しき喫茶店。