出久根さんの『最後の恋文』を読んでいる。
昨夕からボチボチ読んでいるがほぼ半分の所を読んでいて「おっ」。
《たとえば、先の山陽の詩だが、「此の福 人間」を、私は「にんげん」と教わった。正しくは「じんかん」なのである。人の世、という意味である。にんげんと、じんかんでは、同じようだが、大いに異なる。にんげんでは、詩が小さくなる。》
つい先日読んだ詩誌『ア・テンポ』の梅村光明さんの詩。
「人閒暮色」。じんかんとルビが振ってある。
そうだったんですね。
『コーヒーカップの耳』
昨夕からボチボチ読んでいるがほぼ半分の所を読んでいて「おっ」。
《たとえば、先の山陽の詩だが、「此の福 人間」を、私は「にんげん」と教わった。正しくは「じんかん」なのである。人の世、という意味である。にんげんと、じんかんでは、同じようだが、大いに異なる。にんげんでは、詩が小さくなる。》
つい先日読んだ詩誌『ア・テンポ』の梅村光明さんの詩。
「人閒暮色」。じんかんとルビが振ってある。
そうだったんですね。
『コーヒーカップの耳』