続 コーヒーカップの耳
25「お母さ~ん」
昭和18年 16歳でした。そのころ「加藤隼戦闘隊」というんが流行してまして 戦闘機乗りに憧れてました。それで 大連で少年飛行兵に志願しました。母親にゆうたら 内心は嫌やったんやろけど許してくれました。体が弱かったから どうせ試験には受からんやろ思てたらしいです。そやけど一次試験に合格して 二次試験が内地やったんです。生まれて初めての日本の土です。大連駅でみんなに「万歳万歳」と送られましたけど 列車が動き出して 長いプラットホームが終わりかけたとこで 母親の姿が見えました。ホームの端の 古いレールを利用して作った柱の陰で じーっとぼくを見てる姿が見えましたんや。そしたら目が合うた瞬間 母親の顔がクシャクシャにくずれて 両手で覆ってしまいよりました。父親が死んでから ただの一度も涙を見せたことのなかった母親でした。それを泣かせてしもて なんか悪いことをしたような気ィになってしまいました。
内地での二次試験にも合格して そのまま九州の大刀洗の飛行機学校へ入りました。厳しい訓練の毎日で 故郷が恋しくなって 母親に会いたくなって。そやけど だれにもそんなこと言われしまへん。そやから夜中に そーっとトイレに入って 小さな声で 「お母さ~ん お母さ~ん」て呼びました。
その後さらに厳しい訓練に耐えて やっと待ちに待った単独飛行です。そばに教官がおらん。ほかにだれもおらん。聞こえるんはエンジンの音だけ。青い空に たった一人。ああ これでやっと一人前の飛行機乗りになれた と思たら 涙が流れてきて 思わず大連の方角向いて 「お母さ~ん」と大声で叫んでました。誰憚ることなく。
25「お母さ~ん」
昭和18年 16歳でした。そのころ「加藤隼戦闘隊」というんが流行してまして 戦闘機乗りに憧れてました。それで 大連で少年飛行兵に志願しました。母親にゆうたら 内心は嫌やったんやろけど許してくれました。体が弱かったから どうせ試験には受からんやろ思てたらしいです。そやけど一次試験に合格して 二次試験が内地やったんです。生まれて初めての日本の土です。大連駅でみんなに「万歳万歳」と送られましたけど 列車が動き出して 長いプラットホームが終わりかけたとこで 母親の姿が見えました。ホームの端の 古いレールを利用して作った柱の陰で じーっとぼくを見てる姿が見えましたんや。そしたら目が合うた瞬間 母親の顔がクシャクシャにくずれて 両手で覆ってしまいよりました。父親が死んでから ただの一度も涙を見せたことのなかった母親でした。それを泣かせてしもて なんか悪いことをしたような気ィになってしまいました。
内地での二次試験にも合格して そのまま九州の大刀洗の飛行機学校へ入りました。厳しい訓練の毎日で 故郷が恋しくなって 母親に会いたくなって。そやけど だれにもそんなこと言われしまへん。そやから夜中に そーっとトイレに入って 小さな声で 「お母さ~ん お母さ~ん」て呼びました。
その後さらに厳しい訓練に耐えて やっと待ちに待った単独飛行です。そばに教官がおらん。ほかにだれもおらん。聞こえるんはエンジンの音だけ。青い空に たった一人。ああ これでやっと一人前の飛行機乗りになれた と思たら 涙が流れてきて 思わず大連の方角向いて 「お母さ~ん」と大声で叫んでました。誰憚ることなく。