『川端康成の運命のひと』だが、あともう少し。
若き日の川端康成が結婚を申し込んだ少女の初代は、一旦受け入れながら、そのあと、深い事情が勃発し、二人は別れることに。
そのあたりの事情が解き明かされてゆくのだが、読んでいて哀切感に襲われる。
昨夜読んだところ。
《この一事が示すように、これらの文章を読めば、川端康成作品のいかに多くが初代を発想源にして成り立っているかがわかる。初代が、これらの文章を読んでいれば、どんなにか自分の生涯が意味を持つものであり、同時に、川端作品を通して、自分の生きた跡が、さまざまな形で後世に残ってゆくことを確認できたであろう。
だが、現実に、初代は、このような一連の事実を知らぬまま亡くなったようである。息子の靖郎氏は、今回、「独影自命」の全容を読み、自分もこれまで、きちんと読んだことはなかったし、母も、知らないままに亡くなっただろうと残念がられた。》
薄幸のうちに満45歳で亡くなってしまう初代が哀れである。
人の一生が、ちょっとしたボタンの掛け違いでこんなにも変わってしまう。
「人生やちまた」とはいうけれど、あまりにも切ない。
若き日の川端康成が結婚を申し込んだ少女の初代は、一旦受け入れながら、そのあと、深い事情が勃発し、二人は別れることに。
そのあたりの事情が解き明かされてゆくのだが、読んでいて哀切感に襲われる。
昨夜読んだところ。
《この一事が示すように、これらの文章を読めば、川端康成作品のいかに多くが初代を発想源にして成り立っているかがわかる。初代が、これらの文章を読んでいれば、どんなにか自分の生涯が意味を持つものであり、同時に、川端作品を通して、自分の生きた跡が、さまざまな形で後世に残ってゆくことを確認できたであろう。
だが、現実に、初代は、このような一連の事実を知らぬまま亡くなったようである。息子の靖郎氏は、今回、「独影自命」の全容を読み、自分もこれまで、きちんと読んだことはなかったし、母も、知らないままに亡くなっただろうと残念がられた。》
薄幸のうちに満45歳で亡くなってしまう初代が哀れである。
人の一生が、ちょっとしたボタンの掛け違いでこんなにも変わってしまう。
「人生やちまた」とはいうけれど、あまりにも切ない。