喫茶 輪

コーヒーカップの耳

父の命日

2015-06-03 18:39:48 | 日記
今日6月3日は親父の命日。
54年になります。

山奥の水呑み百姓の次男坊で若い時から苦労した親父でしたが、死病以外の最大の危機はシベリヤ抑留だったでしょう。戦友が毎日のように死んで逝った話など、色々と聞かされました。五味川純平の『人間の条件』そのままの話でした。
せっかく生き残って帰国したのですが、幸せな時期は続かず、色々苦労の果て、47歳で病死しました。一番幸せだったのは、戦後長く統制だった米販売を自分の個人営業に出来た時だったと思います。
写真は若き日の親父。
和田山で丁稚奉公していた時。スゴイですね。リヤカーに炭俵9俵積んでます。
140キログラム以上ありますね。そら足腰強くなります。
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2 コメント

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Unknown (但馬朝子)
2015-06-03 20:04:58
懐かしいです。
生きておられた年数より長い年月ですね。
若すぎる死です。

私が高校生の時 弁論大会 兵庫県大会があって但馬代表で須磨高校まで行ったときに仕事の合間を縫って例の前掛けをしたまま応援に来てくださったのを覚えています。
6位入賞のあとお寿司屋さんでお寿司をご馳走になりました。
その時のおじちゃんの嬉しそうな顔は今でも忘れていません。「○○ようやった! おっちゃん嬉しいぞ」と何度も何度も同じことを繰り返しておられました。

お寿司屋さんへ行く道路の端に筵が落ちていてその筵を踏もうとすると乱暴に私の腕を引き寄せて
「人が寝ているから」と 初めて道路わきで筵をかぶって人が寝ていることを知りました。
ずいぶん昔の話です。
人懐っこくて情の熱いおじちゃんでした。
大好きでした。
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父の命日 (akaru)
2015-06-03 21:27:46
朝子さん
父のことを詳しく覚えていて下さって感激です。
おっしゃるように父は熱い人でした。子どものわたしは恥ずかしいような場面がありました。
もし今生きていれば曾孫を異常にかわいがってくれると思います。
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