わたしの父が戦地から持ち帰ったものは、先に上げた食器だけではなかった。
覚えているものをここに書いておく。
飯盒が二個あった。
そのうち一つには、彫刻というほどのものではなかったが、絵と文字が彫り込んであった。父の手になるもの。
自分の干支のトラの絵が彫ってあったのをハッキリと覚えている。
文字はなにだったか覚えていない。
長くうちにあったが、いつのころだったか、誰かに貸したまま返って来なかった。
他に、やはり食器で、これもブリキの手づくりの四角いもの(ブリキを折り紙のように折り畳んで作ってあった)で、それで高粱飯を食べたと言っていた。わたしが子どもの頃、それは、外での石鹸箱として使っていた。
ある日、家の前の庭に置いてあったそれを、拾い屋さんが通りがかりに持って行った。それを父が家の中から見ていて、血相変えて飛んで出て行き、追いかけて行って、とっ捕まえて「お前は拾い屋か泥棒か!」と叫ぶと同時に殴って取りかえした。拾い屋は「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と言っていた。彼も不思議だったかもしれない。そんなしょうもない物を血相変えて取り戻した父を。
その石鹸箱もいつの頃かなくなってしまった。
他に、毛皮のいいのを自慢していた。父は羊の毛皮だと言っていたが、あれは多分、羚羊(れいよう)だったと思う。大きく立派なもので、後に大峰山の修験道を始めた時に尻あてに作りなおして自慢していた。これもその後、父が死んでから、じっと押し入れに置いていて手入れをせずダメにしてしまった。
もう一つ覚えているのが、長靴(ちょうか)だった。これは二足持っていた。長いのと短いのと。
これも今ではもうない。しかし抑留されていたのに、どうしてそんな物を持ちかえれたのか今は不思議だが、確かめる術がない。
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この田舎でも畑あらしがあり寝ずの番をしていたようです。
毛皮のお陰で命拾いが出来たのかも知れませんね。
極寒の地で生き抜くには毛皮は食べ物と同じぐらい大事だったとか聞きました。
長靴(ちょうか)も立派な皮でした。たしかにうちのオヤジは要領は良かったですが…。