ブルベ200kmを走るべく
岩手県 花巻まで車を走らせた
海外ロケからの体調不良は
なんとか走れるまでに回復したが
ここのところ編集が忙しくて
花巻までの500kmは 眠気との戦いだった
だが 今回のコースは岩手沿岸部の被災地をめぐる設定
なんとしても参加したかった
新花巻駅そばの「ケンジの宿」
素泊まり1泊3500円
良い宿でした
朝4時起床
新花巻駅の受付に向かうが
チャリダーの姿が全くない
1人だけいたチャリダーに話しかけたら
なんとその人が主催者で
衝撃的な事実を告げられた
「今日の参加者は1人です」
まじかー(笑)
エントリーは3人だったが 他の2人は不参加だという
1人のために開催してもらうのが申し訳ないと思いつつ
機材チェックを受ける
ここでさらに衝撃的な事実が発覚した
「前照灯は?」
「これです」
「リアライトは?」
「これです」
「OKです。では最後にベルを鳴らしてください」
ベルを付けている場所を触ると
なんとそこにベルは無かった(笑)
私はフリーズした
何度も申し上げるが
私はマヌケな男である
どんな大事な場面にも 必ず1つ忘れ物をする
それはどんなに気をつけても
持ち物メモをチェックしても発生する
今回はここで来たか……
わざわざ8時間かけて花巻まで来て
スタートせずに帰ることになるとは(笑)
ボーゼンとする私を 主催者の今野さんは顔色を変えずに見ていた
そして「ふむふむ…」と何かつぶやきながら 自分の自転車の方へ歩いて行った
そして何かを手に持って戻ってきた
なんということだろう
この貸してくれたベルのおかげで
私の3日間が救われたのだ
感謝を告げると 今野さんは笑いながらこう言った
「私の自転車が違法車両になってしまいましたね」
5時20分 スタートした
距離205km 獲得標高2500m
意外とアップダウンがあるようだが
記憶では確か このルートには激坂はなかった
なぜこのあたりの道を知っているかというと
2007年にディレクターデビューした番組
「男自転車ふたり旅」のコースだからだ
記憶の中とほとんど変わらない風景が待っていた
だが 海に近づくにつれて
記憶とは違う風景になっていく
かつては市街地だった場所
胸が痛い
心臓がドキドキする
どこまでも続く高い高い壁で 海は見えなくなっていた
この壁の高さは 悲しみの量なのだと思った
陸前高田の松原跡には 若木が植えられ
新しく道の駅ができていた
美味しそうなレストランやお弁当がずらり
食べたくて仕方なかったが
私には食べられない理由があった
それはコースを外れて50km寄り道し
気仙沼の「ラーメン炎(ほむら)」に行きたかったからだ
佐藤定善さん
震災で店を失い この場所で新しく店を続けている
ツールド東北の取材の際に知り合い
お店に伺うのは今回で4度目
突然の訪問だったが 喜んでくれた
スキっとして油の少ない 職人技のスープ
ガッツリしたラーメンが好みの人には合わないだろうが
私はとても好きなラーメン
ビックリしたのは 水餃子のタレ
ラーメンがスッキリしているのに
このタレは超個性的だった
めったに口にしない タマリンドのような酸味と香りが
パンチーでうまかった
別れ際 佐藤さんがこう言った
「林さん、本当に体に気いつげでね。
この前、うちに来ようとしてくれた自転車乗りの人が
来る途中に事故で亡くなったんです。
だがら気いつげでね。
必ずまた来てくださいね」
目を赤くして 涙を拭って
何度も私の手を握った
「これ以上友人を失いたくない」
佐藤さんの目は そう語っていた
被災地の人は どうして優しいのだろう
こちらが何かしたくて現地に行っても
いつも優しさをもらって帰ることになる
どこまでも広がる空き地を見ながら
自分には何ができるのかと ずっと考えていた
257km 12時間16分
TSS 340
主催者の今野さんにベルをお返ししたとき
今年でこのコースは終わりだと告げられた
参加者が年々減り ついに1人になったのだから仕方ないが
良いコースだけに残念だった
これでSR取得まで 残すは400kmのみ
今月末の東京発着のブルベに出場予定
雨降るだろうなあ……
岩手県 花巻まで車を走らせた
海外ロケからの体調不良は
なんとか走れるまでに回復したが
ここのところ編集が忙しくて
花巻までの500kmは 眠気との戦いだった
だが 今回のコースは岩手沿岸部の被災地をめぐる設定
なんとしても参加したかった
新花巻駅そばの「ケンジの宿」
素泊まり1泊3500円
良い宿でした
朝4時起床
新花巻駅の受付に向かうが
チャリダーの姿が全くない
1人だけいたチャリダーに話しかけたら
なんとその人が主催者で
衝撃的な事実を告げられた
「今日の参加者は1人です」
まじかー(笑)
エントリーは3人だったが 他の2人は不参加だという
1人のために開催してもらうのが申し訳ないと思いつつ
機材チェックを受ける
ここでさらに衝撃的な事実が発覚した
「前照灯は?」
「これです」
「リアライトは?」
「これです」
「OKです。では最後にベルを鳴らしてください」
ベルを付けている場所を触ると
なんとそこにベルは無かった(笑)
私はフリーズした
何度も申し上げるが
私はマヌケな男である
どんな大事な場面にも 必ず1つ忘れ物をする
それはどんなに気をつけても
持ち物メモをチェックしても発生する
今回はここで来たか……
わざわざ8時間かけて花巻まで来て
スタートせずに帰ることになるとは(笑)
ボーゼンとする私を 主催者の今野さんは顔色を変えずに見ていた
そして「ふむふむ…」と何かつぶやきながら 自分の自転車の方へ歩いて行った
そして何かを手に持って戻ってきた
なんということだろう
この貸してくれたベルのおかげで
私の3日間が救われたのだ
感謝を告げると 今野さんは笑いながらこう言った
「私の自転車が違法車両になってしまいましたね」
5時20分 スタートした
距離205km 獲得標高2500m
意外とアップダウンがあるようだが
記憶では確か このルートには激坂はなかった
なぜこのあたりの道を知っているかというと
2007年にディレクターデビューした番組
「男自転車ふたり旅」のコースだからだ
記憶の中とほとんど変わらない風景が待っていた
だが 海に近づくにつれて
記憶とは違う風景になっていく
かつては市街地だった場所
胸が痛い
心臓がドキドキする
どこまでも続く高い高い壁で 海は見えなくなっていた
この壁の高さは 悲しみの量なのだと思った
陸前高田の松原跡には 若木が植えられ
新しく道の駅ができていた
美味しそうなレストランやお弁当がずらり
食べたくて仕方なかったが
私には食べられない理由があった
それはコースを外れて50km寄り道し
気仙沼の「ラーメン炎(ほむら)」に行きたかったからだ
佐藤定善さん
震災で店を失い この場所で新しく店を続けている
ツールド東北の取材の際に知り合い
お店に伺うのは今回で4度目
突然の訪問だったが 喜んでくれた
スキっとして油の少ない 職人技のスープ
ガッツリしたラーメンが好みの人には合わないだろうが
私はとても好きなラーメン
ビックリしたのは 水餃子のタレ
ラーメンがスッキリしているのに
このタレは超個性的だった
めったに口にしない タマリンドのような酸味と香りが
パンチーでうまかった
別れ際 佐藤さんがこう言った
「林さん、本当に体に気いつげでね。
この前、うちに来ようとしてくれた自転車乗りの人が
来る途中に事故で亡くなったんです。
だがら気いつげでね。
必ずまた来てくださいね」
目を赤くして 涙を拭って
何度も私の手を握った
「これ以上友人を失いたくない」
佐藤さんの目は そう語っていた
被災地の人は どうして優しいのだろう
こちらが何かしたくて現地に行っても
いつも優しさをもらって帰ることになる
どこまでも広がる空き地を見ながら
自分には何ができるのかと ずっと考えていた
257km 12時間16分
TSS 340
主催者の今野さんにベルをお返ししたとき
今年でこのコースは終わりだと告げられた
参加者が年々減り ついに1人になったのだから仕方ないが
良いコースだけに残念だった
これでSR取得まで 残すは400kmのみ
今月末の東京発着のブルベに出場予定
雨降るだろうなあ……
僕は毎年ツールド東北に参加するついでに、3日前入りして石巻~気仙沼を観光や震災伝承施設を見学しているのですが、今年は炎さんにも寄ってみようと思います。
ぜひ炎さんのラーメンを召し上がってください!