◇踊る骸(Tyskungen)
出だしのカット繋ぎが恐ろしく巧い。観る者を引き込むには充分だ。
なるほど、
◇踊る骸(Tyskungen)
出だしのカット繋ぎが恐ろしく巧い。観る者を引き込むには充分だ。
なるほど、
◇ザ・シークレット(The Secret: Dare to Dream)
のっけから「人生にはふたとおりの生き方ある。
で、ケイティ・ホームズとジョシュ・ルーカスの出会いなんだけど、彼女が彼のオカマをほる。外人は車のオカマを掘ったからって警察だの保険会社だのと騒がな
でもさ~この物語なんだけどさ~
◇これからの人生(La vita davanti a se)
1977年にシモーヌ・シニョレが『La vie devant soi』で映画化した原作の二度目の映画化ってわけなんだけど、なんでセネガルの子にしたのかがわからん。それにしてもソフィア・ローレンが頑張ったのか、息子のエドアルド・ポンティがどうしても母を主役にした映画を監督したいっておもったからなのかわからないけど、できればオリジナル作品をもう一本撮ってあげたいもんだわ。
まあ、売春婦の子供の面倒をみるホロコーストの生き残りの老女っていうだけで、役者としては魅力的な役柄なんだろうけどね。
◎ペンギンが教えてくれたこと(Penguin Bloom)
シドニー郊外の海辺ってのは、なんてまあ好いロケーションなんだろう。住みたくなっちゃうよ。
で、そこに棲息してるのがカササギフエガラスなんだそうで、実はこのカラスの亜種は初めて観た。日本に棲んでるカササギとは顔がまるで違うんだなあ。ま、そんなことはともかく、タイで展望台から落ちて半身不随になった海好きの母親ナオミ・ワッツが、夫アンドリュー・リンカーンや子供たちに励まされながら心を開き、やがてカヤックと出会うことで海に戻り、家族の再生が為されるっていう実話を元にした映画なんだけど、この心を開く鍵になってるのが怪我をして飛べなくなったカササギフエガラスで、白黒の体毛からペンギンって名づけられるんだね。あ、それでペンギンなのかってそのとき初めておもったけど。
なんにしても、この夫がいいんだ。怒らないし、憤りかけたときも堪えて気持ちを落ち着かせてから話すし、カヤックを見つけてくるのもそうだし、常にカメラに収めてるし。つか、長男もいいんだ。自分が展望台に誘ったせいで母親が転落したわけで、カササギが同類に襲われてどこかへ逃げていっちゃったのも自分が外に出したせいだとおもってるのが、やがて母親が再生することによって自分の心も再生していく。
上手な映画だね。
ただまあ上手といえば上手なんだけど、なにもカササギと出会わなくても、この母親は復活するんだろうなって気はする。その後、カヤックや障碍者のサーフィンで世界チャンピオンになったりしてるわけだから、血を吐くような努力はあったにせよ、心はかなり強靭だったんじゃないかな。だとしたら、カササギは教えたわけでじゃなくて、復調するきっかけみたいなものだったんじゃないかって気はする。
◎ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出(A Royal Night Out)
エリザベスとマーガレットの姉妹をサラ・ガドンとベル・パウリーが演じてるんだけど、なんともまあよく似せたもんだ。こういうところ、洋画の徹底さを感じるね。邦画は役者ありきで、こういうときはまるで似てない。
うそかほんとか『ローマの休日』はマーガレットがモデルだっていう話だけど、もしもこの英王室の王女ふたりが、のちにエリザベス女王がふと漏らしたとおり「市民と戦勝を祝った」のだとしたら、エリザベスがモデルだったといってもおかしくなくなる。どちらにせよ、観てて「なんだ、やっぱりローマの休日じゃん」っておもったら、まあ本家がえりってことか、とおもうしかないわね。
◎再生の地(Land)
なるほど、ロビン・ライトの監督&主演なのか。
人生いろいろなんだけど、ともかく疲れ果てて、ワイオミング北西部の山奥にひとりで籠もって生きていこうとする。それはわかる。わかるんだけど、こんなところ3日で死ねるな。こんなに大変なおもいをすることないのに、よほど心が折れたんだねっておもいつつ観るしかないのはつらい。
でも過酷な状況に自分を追い込んで生きようとするには、それだけの理由があるものだけども、人はひとりでは生きていけない。助けが要る。その助け次第では人生をやりなおすこともできるんだっていう、そういう映画だからね。
で、スター・ウォーズのヨーダを知らん山男が登場する。妻子は死んでいる。自分も夫と子供を亡くしている。で、このふたりがどうかなるのかといえば、微妙なところでそうならず、友情で結ばれる。よくわかる構図だけど、死にかけるまでが長い。そのあと、結局、文明の利器がないと生きられないことが実感されちゃう。現実はそういうもんだ。まあ、素人といったらあかんけれど、素人の作品っていうだけで、この展開の単調さはなんとなくわかる。
◇アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち(The Eichmann Show)
アドルフ・アイヒマンが捕まってイスラエルで行われた裁判を撮影したテレビ番組チームの物語なんだけど、そうか、こういうアプローチもあったかっておもった。でも、最初におもったそれだけがすべての感想になるくらい平坦な物語だったわ。
ヘビースモーカーの番組のディレクターをアンソニー・ラパーリア、ナチスの残党に撮影中止を脅迫されるプロデューサーをマーティン・フリーマンが演じてるんだけど、まあこれはアンソニー・ラパーリアが主役だわね。おもしろかったのは、当時、ボストーク1号に乗り込んだユーリィ・ガガーリンの「地球は青かった」と、キューバ危機とがあいついで起こり、このアイヒマン裁判もほぼ同時期だったってことだ。いわれてみればそうだなあ。
△ゴジラvsコング(Godzilla vs. Kong)
くそのような始まりに観たのを後悔した瞬間、
△ふたりの男とひとりの女(Me, Myself & Irene)
ジム・キャリーの映画ってどうしても顔芸が臍になっちゃうから、ぼくのようにすこしばかり閉口しちゃってる顔芸はきつい。これって、コロッケで邦画にしても可能なんじゃないかって気がしたけど、たぶん、あたらないだろうなあ。
◎トロール(Troll)
ノルウェーの映画っていうだけで、なんだかわくわくしちゃうわ。
途中で、トロールが現実にいるかどうかっていう話になったときに、キングコングやゴジラがひきあいにだされるんだけど、こりゃ、そのあたりの怪獣映画よりもおもしろいんじゃないかって気がしたけどな。
たしかに、陽にあたると石になっちゃうっていう設定はオチとしてはわからないでもないけど、このトロールの親玉は、家族や仲間を殺されてるわけで、その骨をとりかえしに首相官邸の地下をめざしてるんだから、すべてひきとらせてやれば、戦う必要もなく山へ帰ってくれるんじゃないかっておもうんだけど、たとえ昔であっても人民の中止だった連中の悪事はさらしたくないってことだよね。
だとしたら、トロールは浮かばれないぞ。
◎ピアノ・レッスン(The Piano)
ホリー・ハンター、すごいわ。人間っておもいつめるとこんなに怖い顔になるんだなっていう演技だったわ。
しかし、このあられもない濡れ場もよくやったな~って感じだった。
まあ、時代設定が19世紀だし、もっといえば未開の地みたいなニュージーランドだし、都会から嫁いできた深窓の令嬢はこういう展開の不倫をしちゃうのねっていう感じだった。でも、令嬢な分だけ気持ちが純粋で、それゆえの強烈な誇りがあって、ピアノをひいてるときは機械仕掛けの人形みたいだし、こういう女は梃子でも動かないし、相手になる男もそうとうな奴じゃないと無理なんだよね~って、観ながらおもった。
っていう映画だったかな。
◇生き写しのプリマ(Die abhandene Welt)
導入から唐突な展開。
これあかんわ。脚本が悪い。カッチャ・リーマンがふりまわされるだけの物語って感じだ。
設定はいいけど、こじつけだらけの筋立てとしか感じられん。
死んだ母親とうりふたつのオペラ歌手バルバラ・スコバがいる。ドイツじゃなくてニューヨークだ。父親は金持ちなんだけど怒鳴ってばかりでなんの魅力もない。しかもなにもかも想像がついてて娘に事情を探らせてるだけって、なんだこの父親は。って感じなのは、結局、父親の兄の子だったって話を正当化させるための伏線なんだけど、叔父がいかにも物優しげで、これだったら母親もほだされて不倫して、のちにオペラ歌手になる子を産んで、友達にあずけちゃうかもしれないなあ。とかって、なんだよ、まじ。めちゃくちゃじゃん。
◇グッドナース(The Good Nurse)
1997年に実際に逮捕されたチャールズ・カレンによる連続殺人事件が元になってるらしいんだけど、そうか、こういう看護師の点滴にインシュリンとかを混ぜ込んで患者を殺すっていうのは、この事件あたりが元になってるのかって、ふと、おもった。
ジェシカ・
ジェシカ・チャスティンとエディ・レッドメインも抑えた演技が印象深いけど、なんか地味な役どころやね。
◇ジェーンの秘密(Red Joan)
脚本があきらかに間違ってる。ていうか、戦時中から1972年までソ連共産党のスパイとして情報を流しつづけたメリタ・ノーウッドが1999年まで謎のままで、人生のぎりぎりになって暴落されるまでイギリスの諜報部は知らなかったというすごい話が、なんでこんなにありきたりな物語になっちゃったのか、わからない。せっかくジュディ・デンチとソフィー・クックソンを起用しながら、なんでも現在と過去をかったるく並行させてるだけなのか、撮り手を疑うわ。
イギリスの原爆開発計画チューブ・アロイズをソ連に密告するくだりも、アメリカが広島と長崎に原爆を投下したことの悲劇をくりかえしてはならないとかっていう理由をつけてるんだけど、そんなことは欺瞞だって誰でもわかる。要は、上司との不倫よりもかつての恋人の囁きの方が強かったってことになってるわけで。
ただなあ、どうせだったら、上司のマックス・デイヴィス教授はスティーヴン・キャンベル・ムーアよりも冷酷な印象の知識の塊のような役者にしてほしかったし、恋人の共産党員レオ・ガーリチもトム・ヒューズより甘ったるい理想主義者にしてほしかった。