両国駅の回りには通例よくある駅前商店街もなく、さらに商圏が明確でないので昔から商業が発達しない寂しいところだ。それに駅の頭端部分は、私だって夕方の列車が発車するときにしか行かなかったぐらいだから平日は閑散としていた。すでに役目を終えつつある駅だった。
さて目の端に寂しそうな建築が遠目に見えた。機関車が留置されている先の遠くに見える塔は、伊東忠太が設計した東京都慰霊堂である。それは関東大震災で、この場所、つまり当時の陸軍被服廠跡に避難してきた人達が、押し寄せる火災に取り込まれ、所帯道具に火が回りやがて熱風竜巻が起こり3万8千人が焼死するという惨劇の土地である。その後第二次世界大戦の東京大空襲で亡くなられた10万人と合葬された慰霊堂だから暗い歴史の象徴だ。伊東忠太のただならぬ空気を通わせるデザインが目の端でいつも気になっていた。
今この留置線は、東京駅へ向かう総武線快速電車の線路になってしまったし、線路際には両国国技館や江戸東京博物館、それに高層ビルが建ち並んでいるので慰霊堂はみえないだろう。
それに両国駅の頭端部分は鉄道としての役目を既に終えているので、いまは駅舎も商業ビルに模様替えされている。Googleでは中央に土俵なんかをしつらえてこまごまとしたテナントが営業をしているようだし、しかも駅のホームが餃子ステーションだって。そうした安普請の店舗群を見ていると、別に駅でなくても展開できる業態ばかりであり、どこかさらに寂しさが漂い悲しい気分になる。中途半端なディスプレイ的改装が、この土地の寂しさをむしろ引き出してしまったようだ。
いっそ建築的方法で外壁だけを残して、トップライトとか樹木がある中庭などを大々的に取り入れ大きなレストランやカフェテラス程度にして空間自体を変えてくれたほうが良かったし、ホームは列車を用いたビジネスホテルぐらいにして過去を抹消してくれた方が望ましかった。古い建築意匠を下手に残そうとしたり、相撲とか江戸という通俗的なイメージにこだわったり、ディスプレイ的方法に大きく依存したり、といった素人くさいマーチャンダイジングが、どこかとてもわびしく珍奇な空間にしてしまった。
私なら、こんな珍奇な空間にしなかったと思うけど、多分仮設なんだろう。いずれは駅舎毎壊して賃貸用の業務ビルにでもしたいのだろうと思われる。隣駅の錦糸町駅界隈と比べると両国というのは商いに向かない街なんだ。
だから国技館や江戸東京博物館から帰る人たちに尋ねてみるがよい。「これからどちらへ行きますか?」と。答えが両国駅周辺というのは少ないだろう。
1968年両国駅
Canon6L,50mm/F1.4,ネオパンSS