この頃当時の国鉄は動力の近代化を政策に掲げていた。だから蒸気機関車(SL)を廃止し、電化をしたりディーゼル機関車に置き換えたりしていた。実際まもなくこの両国駅からもSLは廃止され首都圏でSLを見ることはなくなっていった。この当時SLが数多く走っていたのが北海道だった。だから鉄ちゃん達は北をめざしたのである。
あるとき鉄ちゃんが北海道へ行き、曇天の雪の中のSLC62を2台つなげた急行ニセコの写真をみせてくれた。
「おや、デフレクターにつばめのマークがあるじゃないか」。
「暗くてうまく撮れないんだよ」。
北海道まで行くのだから、学校なんか休んで天気の回復を待てばよいのになぁー、それにしてもうらやましい奴だ。こちらは、両国駅よ!、それもC57ばっか。だから今山口線を走っている貴婦人と呼ばれるC57が牽引する観光列車が、うちは嫌いなのよ。
でっ、わては、機材もないしお金もない中校生だったから、北海道までゆくのはあきらめるほかなかった。何しろ北海道の寒さで機材が動かないこともあるだろうから、もらい物の機材1つでは遠出する意欲がわかなかった。実際この機材は、当時随分使用したし、レンズも見られる程度には写ってくれて使用頻度も高かった(1台しかないので当たりまえか)のだが、それにしても標準レンズ1本だから、ここは望遠で撮りたいと思ってもできないので、いつも標準レンズ1本でどう撮影しようかと思案しつつだったな。いま機材フェチの傾向があるのは、その当時の我慢の日々の裏返しなのかもしれない。
それが中学3年の頃の鉄にまつわる思い出である。
1969年両国駅
Canon6L,50mm/F1.4,ネオパンSS