例えば第二次世界大戦とか阪神大震災とか東北大震災の災害の記憶を風化させてはならないというフレーズを、しばしばマスメディアのニュースで聴いたりすることがある。事実を風化させてはならないことも、まだ時間がたつと人々の記憶から消えてゆくことも現実だが、どうも意思表明だけしてあとは知らんですませいたい文化系的気質が濃厚だ。
何を風化させてはいけないとする最大の評価基準は、
「後世にどんな教訓あるいは知見を伝えて行くのか」。
つまり一言で何を伝えるのですか?、問えば、後世のどんな人々にも記憶にのこるように○○○○です。と明快に応えられなければならない。その一言を抽出するために科学や工学の知見を用いて事実の解明や検証を行う必要があるということは先日のブログでも触れた。
自然災害や戦争によって、人々が悲しい思いになるのは現代人だけではない。世界は戦争の歴史であるし、京都だって応仁の乱が長く続き町の9割が灰燼に帰すという経験をしてきた。古来から戦争や自然災害で多くの悲しい経験を人々はしてきた。科学技術がなかったころは、そうした人々を救済するために宗教がその役割を果たしてきた。現代では科学技術があるのだから、自然災害なり事件に発展したメカニズムを明らかにし、得られた知見を後世に伝えるべきだろう。それが風化させない唯一の方法なのである。
毎日新聞朝刊2018年3月15日31面見出しをみると「ホーキング博士死去76歳車椅子の天才物理学者」とあった。なんとも古くさい見出しと記事だが、アカデミズムの世界で天才という言葉は定義が不適切なので使うことはなく、先駆的理論の提唱者といういい方をする。先駆的理論の提唱者なら分野を問わず世界中に数多く存在する。そのなかで彼に着目するのであれば、本来なら全ての研究実績を紹介すればよいのに、そんなことは著書1冊のみあげてお終いという記事から察すれば、ああっ、マスメディアはそんなレベルでしたかと思わざるを得ない。うがったみかたをすれば、彼の実績は本1冊でしたかと思われる書き方だ。
もちろん彼の全ての研究実績を紹介すれば社会欄が埋まるだろうけど、それで良いのではないですか。森友問題などという他人の財布の中身の話よりは有益だよね。国会もそんなにつまらない問題の究明ばかりしていないで、日本の国際的格付けが上がる方法でも議論したらと思うのだが。その方が年金の不足を株や投資でまかなおうとするリタイアメント達にとっては有効だと思うけどな。どうも数式で説明できない文化系的世界のやることは、よくよくわかりませんね。
さて話題が堅くなったので、既に廃線になった関東鉄道のレイル・スケープでもあげておこう。ホームが一つあるだけの駅舎だが、背後の大きな樹木群が素晴らしい駅の環境をつくっているのではないですか。
関東鉄道筑波線
NikonF,AutoNikkor-P105mm/F2.5,コダカラー