駅舎の建築空間には通過型と頭端型の2つのタイプがある。通過型は列車が通り抜けられる空間であり我が国の駅の99%はこのタイプである。頭端型は、列車が行き止まりになり線路もその先には続かない空間構造の駅である。代表例では、門司港駅、さらにヨーロッパのターミナル駅がこのタイプだし映画の舞台になるのもこのタイプが多い。東京都内では上野駅の下ホームがそうだし、小さいけれど両国駅の一部も頭端型の駅空間である。
鉄ちゃんにつれられて徘徊しているうちに、この両国駅に眼が止まった。しかも自宅のある飯田橋駅から総武線1本でゆけるお手軽さも伴ってこの駅にしばしば通った。ここは千葉方面に行く一部の列車の始発駅であり、駅構内には列車や機関車の留置線や転車台などもあり、どこか鉄道くさい空間だったこともあった。
近代建築の駅舎をくぐり待合室を横手に西日が射す改札口を抜けると長い通路を通りホームに上がる。そうしたアプローチが、これから旅に出るというわくわくとした気分にさせてくれる空間であり気に入っていたのかもしれない。朝と夕方の数えるほどの列車しか発着しない閑散としたホームであり、隣の国電ホームとは対照的だ。
そうした駅舎空間を体験すると頭端型の駅から旅に出たいと、かなわない夢を持つ。京都だったら京阪や阪急の駅が頭端型の行き止まりだが、なんとも旅に出る空間ではないし、唯一JR嵯峨野線ホームがかろうじてそうなのだが、ここも現代建築の駅舎であり旅とは無縁だ。まあ待合室もあるので城崎温泉にでも旅に出ますか、という程度のことはできるが旅感覚は皆無だ。
1968年両国駅
Canon6L,50mm/F1.4,ネオパン