Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak161. 科学のメス

2018年03月15日 | Tsukuba

 東北大震災から7年目である。この頃F1では建屋が水素爆発をした画像を入学試験解答の採点中にスマホでみた。そんな土地と建物との関係性に着目しなかった典型例がF1であり、津波で流された町である。

 本来東北地方は、私の記憶でも三陸地震沖津波、チリ地震沖津波と、津波が押し寄せてきている。それに岩手県宮古市重茂姉吉地区には、大津波記念碑が建っており後生に警鐘をならしている。記念碑海抜60mの位置に建てられているから、地形の関係上その高さまでは津波が押し寄せてきたという歴史がある。だから10m程度の地盤のかさ上げではあまり意味が無い地形も東北地方にはある。東北復興は、地盤の固いところを探して高台移転が唯一の正解であり、それ以外の方法はありえない。

 津波は三陸の話であり福島は関係ないでしょう。といったかどうかはわからないが、災害は県別にやってくるわけではないし、東北地方に平行して太平洋プレートが潜り込んでいるのだから、青森県から千葉県までは津波の可能性をもっているとする地学的解釈は、F1がつくられた頃でも理解できたはずである。

 にもかかわらずF1の電気設備を津波で失うような設計にしたいきさつや意思決定のメカニズムはどうなっていたのか、そのとき何故津波の可能性を考えなかったのか、何を安全の評価基準にしたのか、津波の危険性を指摘した技術者はいたはずである、何故無視されたか、あるいは津波に耐えられるとする判断はどこからでてきたのか、もっといえば何故高台に原発をつくる計画にしなかったのか、それらのことについて個人の責任問題にするのではなくて、プロジェクトの構造自体に工学あるいは科学のメスのいれるべきだと考えている。

 もちろん国や企業がいうところの安全は、文化系の話だからいつも神話である。科学的にみれば、どういう前提条件で安全だと評価したのかということである。その評価基準が想定外であれば、安全というものはいつも神話でしかないわけだが、その程度の知見でお終いでは工学やさらには科学の世界にいるとはいいがたい。

 そのあたりの意思決定やヒューマンファクターを科学的に解析し知見を得て後生への警鐘とするのであれば、先の大津波記念日と同様の意味をもつ。しかし、そんなデータがあるかどうかもわからないし検証する活動も聞こえてこない。

 本来ならば、そうした科学的検証をして知見を得てこそ災害を風化させない唯一の方法なのだが、センチメンタルなイベントとマスコミアピールで終わろうとしている。それじゃ本当に風化するだけだよ。東北大震災やF1の問題を風化させたくなかったら、後生に何を伝えるべきかとする知見を科学のメスを用いて明らかにすることでしょう。

 さて堅い話になったから話題を買えて、確定申告の列に乗って還付申告も終わり、一つ仕事がかたずく。新聞をみると森友問題で騒がれているが、そんな他人の財布の中などどうでもいいのよ。100兆円国家のスケール規模からすれば8億円なんて端数処理の部類だろう。それよか経済をもう一寸。日本はGDPの割には、世界ランキングが低くすぎるのよ。つまり世界からあまり信用されていないのが現実。

 日本は国債などの借金が1,000兆円あるけど、国家の場合は借金という概念が本来成立しない。だってお札をドンドン印刷して社会に流通させれば借金棒引きになるからね。

 さてデスクの中から換金していなかった郵便局の小切手がでてきた。おおっ、これでα6000の16mmのレンズを買おうというので中古屋にはしりころのよい商品をゲット。まあSONYのボディに一つぐらいフルオートで使える純正品が欲しいよな、といって本気モードではないので中古でいいさ。PENならレンズは揃っているのになんでSONYか。つまりSONYの純正裏面照射型COMOSセンターを試してみたかったわけです。

 国家に比べると、なんともつつましい還付金だのデスク小切手だのとせこい話で時間をつぶされる。α6000を小脇に抱え古い町へ行きたかったのだが。

 

茨城県新治郡筑波町

NikonF,Auto Nikkor-P105mm/F2.5,コダカラー

 

 

 

 

 

コメント
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