先日京都市内のマッシュというパン屋の2階のカフェでPenという雑誌をみていた。おや!、まだこんな特集企画をやってんだ。つまり著名人を登場させ、すり切れたLEICA(Lietz)を紹介している。そんな企画は、これまでさんざんおこなわれてきたが、まだそんな記事を掲載していることに唖然とした。
私もフィルム時代にLeitzを使用したことがあり、当時のレンズの映りの良さは経験した。といって今はフィルムのプラス Xもなく、唯一あるトライXは高価だし、そもそもHというプロラボへフィルム現像を依頼したら、ゴミはあるは、ひっかき傷はあるはで、その下手さ加減に愕然とした。もちろんモノクロームだったら自分で現像した方が綺麗だが、現像タンク類は随分前に処分した。良い現像ができなければ、フィルムを使う意欲はない。
Leitzは、モノクロフィルムでは大変綺麗に撮れたが、それはフィルムのあった時代の話かと思ったら、今でもそれを愛でている愛用者がいる。
だが今の私は、Leitzに対する好奇心も、使おうという気分もない。そもそも撮影画像は、テーマに合わせてPhotoshopで大いに加工してしまい、印刷物にするときはライツで撮影したフィルムをスキャナーでデジタル化するので、論理的に結果は一緒だ。
だから私は、Leitzに価値無しと判断している。いまのLEICA社は計測器メーカーとして存在しており、昔のような撮影機材メーカーではない。もはやそれが活躍する場面は、私の回りにはない。
それでも私の手元の機材トランクの中には、M4-Pボディと4本のレンズがある。SONYαのブログラムがなければ、Leitzレンズの発色などクズだ。あの名鏡玉といわれたウェッツラー35mmズミクロンF2.0の8枚玉でさえゴミのような写り方しかしないことを経験した。
精々80年前のヘクトールの古くさい色を意図的に使うことも考えられるが、そんなのPhotoshopで簡単にできでしまう。だから雑誌でLEICA特集をみていると、PCとかPhotoshopに縁のないテクニカル・プアな人達が雑誌に登場していると勝手に判断した。
もうひとついうと、私はドイツデザイン(枢軸国のイタリアデザインも含めて)が嫌いなのです。今でも存在するワーゲンとかLEICAは、かってヒットラーの愛用車・愛玩物だったでしょう。だから彼と同じ趣味は、もちたくないという理由が大きいかな。
NikonDf、AF MICRO NIKKOR 60mm/F2.8D
1)ISO6400,焦点距離60mm,露出補正0,f/22,1/30s
2)ISO6400,焦点距離60mm,露出補正-0.33,f/11,1/60s