この世にパーソナルコンピュータが登場してから私はMacだ。
というのもこの世にはまだWindowsが存在していなかった。後からWinがノコノコやってきて、apple仕立てのマウスを使い、役所もWinを採用するようになって、世の中が便利になったかというと実はそうではない。
面倒な仕事が増えただけ。そのスタンスは、Macとは真逆の方向へ進んでしまった。
特に英文ソフトwordを役所が複雑な罫線が入った日本語書類に使い出すものだから、収拾がつかない混沌とした環境を呈している。いつも私は、あれやめたらどうですか。それほど罫線書類をつくりたきゃIndesignを使うべきでしょうがぁー・・・と思い続ける。
そんなwordやexecelのたった2つのソフト使いの名手になってサラリーマン社会が動いていたのか。大方の事務系がやれるのは、この二つのソフトを使いこなして人生を歩むという、私から見れば「えっ!、たったそれだけで世の中を渡るの??」と、そら恐ろしい社会。
人生は使うソフトの数だけ、その分野の専門家になってゆくのがPCの世界。今私のMacには、30以上の専門ソフトが入っている。ここで専門ソフトといっているのは、PCに予めインストールされたソフトを除いての数量だ。
大学に勤務していた頃、事務職にIndesignを使えといったら、そんなソフトはPCにも入ってませんよと言われたのにはぶったまげた。
それにWinのトップ画面がいただけない。左側にアプリのアイコンがずらっと並んでいて、人によっては画面全部がアプリのアイコンで埋まる。
じゃあ作成中のファイルは何処にゆくのか?。そんなのは、ごちゃ混ぜでよいのか(因みにアイコンは隠すことが出来るバズですが・・・)。さらには開いた書類の上にさらに書類を幾重にも重ねて仕事をするなんていうのは、つぶれかけた零細企業のデスクみたいだ。あれ好きになれませんなぁー。
そもそもファイルを開けば、アプリは勝手に立ち上がるのでトップ画面にアプリを表示する必要はない。
appleをまねてwinをつくった。iPhonをまねてスマホ社会をつくった。じゃあ最初にオリジナルをつくりだす能力は、どうやってつくられるのだろうか。そう考えるとWin系のコピー社会で良いのだろうか?。オリジナルをクリエイションできる能力こそが、現代人のやるべき仕事だと思うけど・・・。Macはクリエイションのツールとして登場してきたのだった。
トップ画像依拠:
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Macのトップ画面。画面は次の仕事のためにいつも空けておく。