大学の教員をしていたから、100人以上の講義を受け持ったりすると私の顔と名前を覚えている学生と、学生の顔と名前が一致できない私とが存在する。したがって私が知らない学生達から挨拶をされる。だから私も挨拶を返す。あとであれ誰かしらんとなる。挨拶をすることが習慣になっているから知らない人にまで挨拶をしている。
しかし最近私が感じるのは、日本人のオッサンの無愛想で極悪人の様に周囲をにらみつけている人相の悪い事。もちろん私が挨拶をしても、頭を少し動かしたようなそぶりは見せるが、そんなものは挨拶ではない。
でっまあ、こちらはポーカーフェイスが基本だから好印象を相手に与える努力はする。それで「この好印象、話が通じる」と相手に思わせたら、オッサンの表情が急変し緊張感の心もほぐれる。ようやくオッサンは心を開いて話を繋ごうとする。その時私は「おっと時間がない」といってあばよ!!!、とずらかるうグッドな方法があると思った。思っただけですが・・・。
さらに、私は挨拶の代わりにハンドサインやお辞儀ですます事もある。この方が丁寧だから相手からは好印象だろう。だか、こちらは会話をしなくて済む。ハンドサインが便利なのはここである。いつからこんな態度が身についたかというと、コロナ禍の頃からである。なにしろ感染予防で会話をするなというわけだから、ならばボディランゲージで済ますのが合理的だ。それが身について今も多様している。煩わしさを排除する方法とでもいいますか・・・。
このブログにもあるコメントの返信が難しい。そこでChatGPTに返信を書かせればよいことに気がついた。今度はChatGPTに複数のコメントを書かせて最適なのを選べば良いか・・・。
例えば・・・
そこで眠そうな朝という内容の挨拶のコメントをいただいたとする。
すると私の回答ではなくChatGPTの返事は以下だ。
・・・・・・・
私はいつも元気な挨拶で朝を迎えます。「おはようございます!まだ眠そうですね。」その一言が、私の一日を温かく包んでくれるのです。眠そうな朝も、挨拶のひとことで心がほっこりとする、そんな素敵な時間なのです。
朝の挨拶は、私にとって特別な瞬間です。眠気と闘いながらも、仲間たちや通行人とのふれあいを楽しむことができるからです。何気ない挨拶が、人と人との距離を縮め、心を温かくしてくれるのです。
私たちは忙しい日々の中で、些細なことに気づくことが少なくなってしまいがちです。しかし、朝の挨拶を通じて、周囲の人々とのつながりを大切にすることができます。眠そうな朝でも、笑顔と優しい言葉で心を通わせることができるのです。
朝の挨拶は、私にとって特別な瞬間です。眠気と闘いながらも、仲間たちや通行人とのふれあいを楽しむことができるからです。何気ない挨拶が、人と人との距離を縮め、心を温かくしてくれるのです。
私たちは忙しい日々の中で、些細なことに気づくことが少なくなってしまいがちです。しかし、朝の挨拶を通じて、周囲の人々とのつながりを大切にすることができます。眠そうな朝でも、笑顔と優しい言葉で心を通わせることができるのです。
・・・
こんなコメントを返すかもしれない。どうかなぁー((*^▽^*))。
因みにTOP画像は、「眠そうな朝」という言葉でAIによる画像生成。ブログ画像もAIでつくる時代か・・・。