Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ724. みみっちい現代中国人

2024年05月28日 | field work

 ちぇっ!、医者にゆく日に限って体重が58kg代に増えてるではないか。まあいいか、そしたらいびき改善のためにあとダイエットしなさい。52kgが理想ですだって。
 何がそんなに体脂肪を増やしたかというと要因は、昨日のマクドナルドのバーガーと原稿執筆に忙殺されビデオ撮影に出歩かなかった事ぐらいか。さしあたり57kg代から56kg代をめざしてウェイトトレーニングの重量でも増やすか・・・。だからまた原稿執筆で中断していた散歩を丹念にするほかない。
 近所の散歩と言えば京都は、どこでも中国人、韓国人、欧米人、そしてアラブ諸国の人達を頻繁に見かける。おもしろいのは、彼らのマナーに温度差があることだ。
 というのもビデオ撮影をしていると、脇で動かずに待っていてくれる気配を感じる。これは欧米人である。概して彼らは、周りの動きによく目が届く。そうした生活経験をしてきたからであろう。そしてマナーが良い。
 それに引き換え周りに神経が全くゆき届かないのが中国人だ。平然とビデオカメラの前を横切り、そんなものが視界に入ってることすら気づかない。私の映像が着物姿の中国人ばかりとなるのは、そうした理由からである。そんな作法は、育ち方なんだろうと私は考えている。ちなみにアラブ人は撮影されることを嫌うだろう。
 ある日地下鉄で突然中国人から、中国製翻訳機を私の口元に近づけ意味不明の地名を尋ねてきた。いきなりこんなことをするのも中国人だ。それもリパブリック・チャイナだ。それは相手に対して失礼もいいところだ。それで私の答えは一言「メイヨ!」(しるわけねぇーだろ!!!)だ。それでチャイナは私の視界から消えた。なんか珍奇な玩具を振り回すみみっちい中国人だ。
 こういう失礼なことをすれば、例え知っていても茶道・礼儀作法の家元達が暮らしている街の京都人達は、「うち、ようしりまへん、ごめんやす!!」と教えない。
 私が旅先で経験した事だが、中国内陸部の地方都市の小さな村に住む中国人は、文物の研究者であり私達と通訳を通じて親しく会話してくれた旅の経験がある。彼の眼は遙か遠くを見据え文化人としての気品と泰然とした中国を感じさせてくれた。それが私の尊敬する中国人のイメージであった。いったいいつらか無作法でみみっちい現代中国人が増えたのだろうか?。

雲南省大理近郊の集落で出会った文物の研究者。決して生活は豊かではないが、私達の質問に毅然と答えてくれた姿は気品が漂い、泰然とした中国の空気を漂わせながら私達を優しい眼で見送ってくれた。私が尊敬する中国人の一人である。(1999年、雲南省大理近郊の集落にて)
コメント
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