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ルビーの赤目をした美麗猫、タイヤ交換、キタミフクジュソウとBhutan難民。
20XX-4-10(日) 晴れ 11℃
天気が良いので午前中、F氏のところへ行きライフとフォレスターのスタッドレスタイヤを夏タイヤへ交換、ワイパー交換、洗車をしてもらった。彼の家には広い地下室があり、私たちの車のタイヤをあづかってもらうだけでなく自動車整備が趣味のF氏のF1氏が毎年タイヤ交換までやってくれるので本当に助かっています。
我が家は犬派だがF氏たちは猫大好き派。彼の家のまわりには何となく猫ちゃんが目立つ。
タイヤ交換の間、猫の写真を撮ったり、今が盛りのキタミフクジュソウの撮影をした。ところで、F 氏はアルピノではないのに真っ赤なルビー色の目をした不思議なニャンコ、赤目猫を飼っています。
そのあと4人で 北見ビール園へ行き昼食をとったが食べ過ぎた感じ。
帰ってから今年初めての庭の草取りをやったが、思っていたほど雑草がなかった。
このタイプのコイルスプリングバネは日本では充分ですが、モンゴルの悪路ではいとも簡単に割れ飛んでしまいます。私がモンゴルで雇ったランクルはこのスプリングコイルが2度も割れ飛んでしまいました。予備のコイルバネは必需品です。
キタミフクジュソウ。
ガクが花びらに比べてやや長めであることから福寿草ではなくキタミフクジュソウであることがわかります。また、もう少し葉が展開すると
葉の裏側にびっしりと細かな毛が見えます。福寿草には毛がありません。
まったく関係ないけれど。
ブータン人口60万人のうち1989年からの民族同化政策で 1990年に12万人ものネパール系ブータン人が南部を中心にブータンを追われネパールで難民生活をしていることを初めて知った。
猛暑のブータン南部でも暑苦しい民族衣装が制度化されたり、どこへいっても王様一族の写真ばっかりだったり、国民総幸福度世界一などというマスコミ受けを狙った概念をだすあたり少し臭いと思っていたが そんなことだったのか。
ブータンは多民族国家で人口の20%をしめるネパール系住民は一大勢力であった。シッキム王国ではネパール系住民が次第に増え、ついに国民投票でインドへ帰属することが決まりシッキム王国が消滅した経緯があり人口増加率著しいネパール人勢力が強まるのを警戒してのことであった由。
私は1979年に初めてブータンに旅行したが、その後もひたすらブータンの蝶しか目に入らず、ブータン王国の光と影みたいな部分にはまったく関心がなかった。 興味のある方は( ブータン、民族同化、難民 )で検索すると関連記事がたくさん出てきます。
PS ; 帰宅後、猫ちゃんたちの写真を見たら、ルビー色の赤い目をしたニャンコがいた。赤目防止なしでのフラッシュ撮影でこんな 赤目ネコ 写真になったもようだが、こんな猫は実際にはいないとおもう。ただ、ネットで検索するといました。赤い目をしたにゃんこの動画が2日間で10万回もアクセスされていました。これは、暗いところでの動画撮影時、カメラから照明光が出るタイプのデジカメで撮影された映像と思われますが皆さんしっかりだまされているようです。動画の最後の瞬間、このにゃんこは普通色の目になっています。
赤目ニャンコに撮らないでほしいんだけどにゃー。
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ルビーの赤目をした美麗猫、タイヤ交換、キタミフクジュソウとBhutan難民。
20XX-4-10(日) 晴れ 11℃
天気が良いので午前中、F氏のところへ行きライフとフォレスターのスタッドレスタイヤを夏タイヤへ交換、ワイパー交換、洗車をしてもらった。彼の家には広い地下室があり、私たちの車のタイヤをあづかってもらうだけでなく自動車整備が趣味のF氏のF1氏が毎年タイヤ交換までやってくれるので本当に助かっています。
我が家は犬派だがF氏たちは猫大好き派。彼の家のまわりには何となく猫ちゃんが目立つ。
タイヤ交換の間、猫の写真を撮ったり、今が盛りのキタミフクジュソウの撮影をした。ところで、F 氏はアルピノではないのに真っ赤なルビー色の目をした不思議なニャンコ、赤目猫を飼っています。
そのあと4人で 北見ビール園へ行き昼食をとったが食べ過ぎた感じ。
帰ってから今年初めての庭の草取りをやったが、思っていたほど雑草がなかった。
このタイプのコイルスプリングバネは日本では充分ですが、モンゴルの悪路ではいとも簡単に割れ飛んでしまいます。私がモンゴルで雇ったランクルはこのスプリングコイルが2度も割れ飛んでしまいました。予備のコイルバネは必需品です。
キタミフクジュソウ。
ガクが花びらに比べてやや長めであることから福寿草ではなくキタミフクジュソウであることがわかります。また、もう少し葉が展開すると
葉の裏側にびっしりと細かな毛が見えます。福寿草には毛がありません。
まったく関係ないけれど。
ブータン人口60万人のうち1989年からの民族同化政策で 1990年に12万人ものネパール系ブータン人が南部を中心にブータンを追われネパールで難民生活をしていることを初めて知った。
猛暑のブータン南部でも暑苦しい民族衣装が制度化されたり、どこへいっても王様一族の写真ばっかりだったり、国民総幸福度世界一などというマスコミ受けを狙った概念をだすあたり少し臭いと思っていたが そんなことだったのか。
ブータンは多民族国家で人口の20%をしめるネパール系住民は一大勢力であった。シッキム王国ではネパール系住民が次第に増え、ついに国民投票でインドへ帰属することが決まりシッキム王国が消滅した経緯があり人口増加率著しいネパール人勢力が強まるのを警戒してのことであった由。
私は1979年に初めてブータンに旅行したが、その後もひたすらブータンの蝶しか目に入らず、ブータン王国の光と影みたいな部分にはまったく関心がなかった。 興味のある方は( ブータン、民族同化、難民 )で検索すると関連記事がたくさん出てきます。
PS ; 帰宅後、猫ちゃんたちの写真を見たら、ルビー色の赤い目をしたニャンコがいた。赤目防止なしでのフラッシュ撮影でこんな 赤目ネコ 写真になったもようだが、こんな猫は実際にはいないとおもう。ただ、ネットで検索するといました。赤い目をしたにゃんこの動画が2日間で10万回もアクセスされていました。これは、暗いところでの動画撮影時、カメラから照明光が出るタイプのデジカメで撮影された映像と思われますが皆さんしっかりだまされているようです。動画の最後の瞬間、このにゃんこは普通色の目になっています。
赤目ニャンコに撮らないでほしいんだけどにゃー。
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