崩壊過程

朝布団の中で小1時間考えたことは、「幸福」という観点から見たとき、多くの人たちが(発展過程)にあるという思いとは異なり、現実の人間社会は全体として(崩壊過程)にあるとはっきり思えた。それは現実が(格差社会)の枠をはるかに超えて崩壊しているように見えるからだ。
公的機関が幸福を奪いさらに奪いつくそうとしてるのに、人々は、「もっともっと!」とメディアのお囃子入りで唱和する。
被害者も、唱和するのだから、進行の抑制は効かず崩壊のスピードは速い。国によって多少ニューアンスの違いはあるが、日本はトップランナーに違いない。
心配しどうにかしないとと考えている人たちもいないではないが、ほとんど点在しているにすぎない、極僅かに点線(ラインまでにはなっていない)か小さなグループ程度で組織といわれるようなものは皆無だろう。
崩壊はいつまでも続かない。壊れてしまえばそれ以上は壊れないからだ。そして新しい時代は崩壊過程の中で点在していたものが新しい芽として時代の体をなすのだと思う。今、点はどこに存在しているか解らない。身近な隣のハナタレ小僧の中かもしれないし、アルツハイマーのおバーちゃんの中かもしれない。ちょっとしたら、自分の中かもしれない。
私は喘息もちの老人だが、せめて「危ないぞ!気をつけろ!」と声をかけぐらいはし
こけている人がいたら、笑ったり、踏みつけたりせずに、ちょっと手を貸すぐらいのことはしたいなと思う。


今日のテーマとは関係ないが、以前このブログで株で1年以内にプラスの結果を出しその時は、報告すると言ってきた。
この4月6日やっと、トータルで2000円水の上に顔を出した。株は教育の世界とはまったく異なり、ヒンシュクをかうかもしれないが、いまは面白くて仕方ない。午前中はパソコンにかじりついている。意外だったのは、囲碁に似ていたり、自分の心と直接対面しなけれけえばならないことだった。修行!修行!と格好つけながら暫らく遊ぶつもりだ。女房も子供もニコニコ見ていてくれる。ありがたいことだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )