思い出すこと2 小学校の先生になった初めての日

埼玉県の上福岡市の第2小学校に着任した。始業式が終わり並んだ子供たちを離れの木造校舎の教室に誘導した。着席した子供たちを見て、はて?この子達に自分の言葉が通じるだろうかと不安になった。子供たちも初めてなので緊張してるから行儀がいい。(勿論その時は子供たちが緊張してるとは思わなかった)
私は恐る恐る、「廊下に出て背の順に並んでください。」と声をかけた。子供たちは廊下に出て並んだ。次に「しゃがんでください」「立ってください」もやった。大体そろってできた。私はホーとして教室に入れた。背の低い私はそれまで高校でアルバイトをしていたので、視線がいつも上に向いていた。急に下のほうに下がったので、なにやら、わけのわからぬ小動物がうにょうにょ這い回っている感じだった。
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思い出すこと1

自分はもう年だし時々振り返るのもいいかなと思う。しかし「今」に最もも関心があるので、断片的になるが「今」に繋がることを確認の意味で記してみたい。今日はその1。
私は今生まれて65年になろうとしている。最も小さいときの記憶は3~4歳の頃だと思うが、家族で防空壕に逃げ込んだ時のことだ。(終戦の日や小学校へ入る前のことはいくつかの場面はのこている。)北海道の田舎町の外れに我が家はあった。真夏の天気のいい日だったがなぜか親父も家にいた。昼頃、近所の大橋さんのおじさんがメガホンを持って「警戒警報」と連呼ながら走っていった。親父さんは木札を表札のところにかけた.間もなく、さっきのおじさんが「空襲警報」と連呼しながら走っていった。親父さんは表札をひっくり返してかけなおし、両親と兄弟4人は(その時は弟二人は生まれていなかった)がリュックや水筒を持って、家の前の防空壕に逃げ込んだ。防空壕の中に焼き物のつなぎ煙突1本を空気孔に屋根に挿してあった。私のすぐ上の兄貴が、そこから空を見て、「B29が来るぞ」と格好いい物を見るかのように嬉しそうに言う。私は順番を待って空を見ると、銀色に光った飛行機が2機が青空高く飛んでいるのを見たような気がする。全く怖さはなく兄貴との面白かった思い出として残っている。親父やおふくろ、上の兄貴2人は記憶の中ではサイレントだ。
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