教育政策の馬鹿さ加減

今までの教育政策の結果が今日の教育問題を生み、その延長線上に、今準備されてる教育政策がある。必然的に大変な状況を生むだろうことは今まで、いくつかの例を持って述べてきた。今後はは悪化の新たな状況や統計上の変化を追いたいと考えている。それにしても今朝の朝刊を見てまたまた驚いた。教師の質を上げるため給料に20パーセントの格差をつけるという。「良くない教師」の給料は「いい教師」の約半分と言うことになる。東京では既にその方向で差をつけている。これを全国的にやると言う。一体、お金や地位を求める『いい先生』っているのだろうか?
 野球選手や力士でもあるまい、野球選手や力士は力比べを客にみせ、お金を儲ける。だから、技量が収入やや地位と割合い重なる。お金や地位を求めてがんばるのもある程度分る。ところで、より多くのお金やより高い地位を求める『いい教師』なんて存在するのだろうか?常識でも、『いい先生』は何よりも子供の幸せのために良心的に子供に関わる先生のことではないだろうか。40年以上教師をし、500人近くの教職員と仕事をしてきた。お金や地位に【色目】をつかい、子供よりそれを優先させた教師に『いい先生」は唯の一人も見たことがない。こんなこと、学校で学んだことのある人なら教員の経験がなくても、よっぽど勘違いしない限り、例外的であってもおもいだすことすら困難ではないだろうか。

教師も家族を抱えた生活者であることには違いない。しかし表現がいいかどうかは別にして「聖職者」とも言われるこの仕事をセールスマンの営業成績で賃金や地位を査定するような非教育的な仕組みを作ると言う。誰が考えても結果は見当がつく。それを国が法律によって実施しようとしている。子供たちを心でリードする人間をお金でリードしてして育てようとする馬鹿さ加減。お金でリードすればお金で動く人間が育つのはあまりにも明白。

 記事は『論議が過熱しそうだ』と締めくくられていた。

こんなことで論議が過熱する国ってどういう国かと思う。

こんな国の方針に群がる教師や若者はいるだろうが、教育そのものに夢と希望を持った教師が集まるはずはない。

こんなセンスのない政策を堂々と国を挙げたやるようではこと教育の状況が悪化するだけでなく、教育の国家的な役割を考えると、社会不安は勿論、お金で動く教師によって日本を背負う若者を育てていくのだから、国力は低下し、経済も国際的地位もおぼつかなくなるのは時間の問題。

これは政府や与野党の問題を超え、総国民の、『民意』や日本の政治力を表現しているのだろうか。

いつのまにか、こんなことが「変だとも」気が付かず、「驚くこのとも」出来なくなった我々日本人の感覚は一体、どうなってしまったのだろうか?

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )