世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
漂流しているのは周囲なのか私なのか
以前このブログで書いた、望遠月瞰図的に見ると人類全体が漂流し、特に日本はその最先端を走っているように見える。偉そうに書いている私が漂流しているだけなのかもしれない。自分が漂流していれば周りが漂流しているように見えるものだ。自分を含めた全体と言えばそれまでだが、それでは面白くないし、確かに私の目には周りが漂流しているように見えるのだから、そう書かざるを得ない。成長路線が行き詰まると、少し引き返し、今来た道をまた同じ道を進もうとする。不沈空母がタイタニックのようにひた走る。どうせ戻るなら、本来の自然と伝統と文化に戻り、繰り返すのではなく、周りの状況を見て、向かっている方向を確認し、同じ轍を踏まないよう、新しく進路を変えればいいのに。学習効果がない。月から見ると、あのでかい地球だから人為にも限界があり、壊れるのも、再起再生するのも間違いない地球の現象に過ぎない。唯、その間のリスクやダメージがどれだけ大きいことか。今後益々、人間は思いもよらないリスクやダメージを長時間蒙ることになるに違いない。
上部構造【広い意味での文化】は下部構造(経済関係)の如何で決まると言う社会科学的な説があるが、現在の教育一つ見てもそれが文化的に赤信号であることは思想や立場に関係なく殆どの人が認めるだろう。今は下部構造の行き詰まりによる経済的格差拡大や社会の歪みどころではないはず。下部構造そのものをを支える地球そのものに異変が起きている。地震が頻発しその2次3次の被害がでていても人間が地震を感じないか無視しているようなもの。いつまでもほおかぶりが出来るはずはない。 今日、責任回避やごまかしの手段としてよく使われる大衆向けの宣伝文句としての『再起・再生』ではなく、本当の意味で、進路を変えない限り、被害とパニックの規模は今よりさらに大きくなるはず。地球環境や資源の限界をにっちもさっちも行かなくなって地球からつきつけられる前に、経済的な行き詰まりは当然起きるし、その前に、日常的に誰の目にも見える形で、子どもたちをも巻き込んだ社会的・教育的な問題を始め、あらゆる分野でゆゆしきことが頻発する。人災【人為による困ったこと】にしろ天災にしろ、小さな信号で手を打たないと、その中に潜むエネルギーはマグマのように大きくなり、噴出し被害は甚大化する一方になる。ワイドショーやお笑いと比例するかのように現実感覚の希薄化が進行している今日でさえ、行政やメディアもが隠し切れず、報道されるものだけ見てもその規模は大きく、根は深くなる一方ではないか。【アメリカの乱射事件の死者は史上最高だそうだ)新しく発生したゆゆしきことの持つ意味や原因の探索は意識的かどうかは分らないが、避けられっぱなしになっている。情報を流す方も受け取る方も(おたおた)している感じでもないし、報道する口調とは逆にに中身は興味本位で背景を探り原因を捕らえようとする姿勢は殆ど無い。(これだけゆゆしきことが毎日起きるんだからある程度の予想は出来るだろうに、予想するコメントは殆ど無く、いつも思いがけない形で発生するのは現状の把握が不十分だからです。(教室で発生する子供たちの行動も全く同じでいじめなどは早めの対応をし失した結果なので、社会の縮図なのです。行政の表れそのものですが、行政には全くその認識はないようです。だから繰り返されるのです。)
「漂流しているのは皆なのか、それとも私だけなのか」やっぱり、そこに行き着く。
暗い話ばかりでで申し訳ないから、いいこともちゃっかり一つします。
株の話ですが、水面上に頭をはっきり出しました。(今後は「一喜一憂」はそう必要ないだろうと思う。)
目に見えにくい、私の社会や教育に対する判断が『主観的だ。』と一蹴されかねないので、それなら誰の目にも見える形で証明しようではないかと、負けず嫌いの私は勝手に株にも気を入れてきた。株は一つの総合判断だし結果は数字に即表れる。
今は内心『やっぱり!ご覧の通り。』と思っている。
社会批評も株も根本的には同じで、仮説を立てた科学実験のようで、すごく面白い。