食糧と経済

 

      かつては「自分で飯を喰う」 この言葉が その人間の社会的・経済的自立を意味していた。

     人間だけでなく全ての生物は食い物無しには生きて行けないから、経済活動の根本は食糧の確保   だろう。

      地上にいる70億の人間は食糧だけでなく多くの物とサービスを得ており、貨幣に換算すると生み出しているものは 食糧以外の物が 圧倒的に多くを占めている。

     しかし、地上では10億からの人が食糧に窮し、およそ半数は生活に窮しているから、全体としては糧(かて)が満ち足りているとは言えない。

     現在の経済体制では所有の格差が食糧の過不足を分り難くし、有限な資源にあっては 生み出す物は減じ、食糧の比重が 増加するのは避けられない。

      現在の経済構造にあっては (経済成長の不振)とか(行き詰まりの)レベルを越えて食糧不足へ向かう。

    現在はその過程のどこに位置するかが問われているだけなのだが、 (忙しさのせいか)

 今は無関心なようだ。

 食糧が消費者物価指数から除外され、エンゲル係数がマスコミや教育現場から消えたかのように登場しなくても、何事も無いかのよう過ごしている毎日が心配。

     

    

     

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いつの間にか自分はそこにいた

海外旅行をするとその国の人に自己紹介するように「日本はこんな国」だと端的に言わなければならない事があるが、答えるのは難しい。

 スポーツなんかで(サムライ日本)(ナデシコジャパン)今度のオリンピックに向けては(オモテナシ)のキャッチコピーが用いられた。

現在の日本で上記の言葉の実態を探すのは難しい。

 個人であれ組織であれ国家であれ独立と自立には精神的なアイデンティティー(社会的役割・自己同一)が求められるが、果たして現在の日本のアイデンティティーは何だろう?と考えたが なかなか思いつかない。

 政府がここへきて敢えて日本の(積極的平和主義)を口にすると、逆にこれまでのアイデンティティーが疑問になる。

 アイデンティティーは 掛け声では意味を為さない。

  外形的な崩壊に留まらず目に見えない精神的なアイデンティティ―も失った国にのメンバーの中に、 いつの間にか自分はいた。

 

  

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