迷わせる学者

 

太陽が東から出て西へ沈んでいくのを(地動説)が正しいからと言って、太陽を固定し自分たちが回っているように認識するのは難しい。

  視点や視座は変えよと思って簡単に変えられるものではない。 教わったからと言ってすぐ自転車に乗れなかったり泳げないのと似ている。

   人間中心に流されている情報を、世界や地球を中心に出来事を理解するには練習と慣れが必要で、行き詰まった時代の転換と言えども、相当の努力と時間を要するだろうと思う。

    視座・視点の変更を先導を担うのは 一般的には(学者)の役割だろうが、実際は 多くの学者は自らが古い視点から抜け出せず、結果として転換を拒む役を果たしている。

  もともと、視点の変更の特別な先導役など無いのに主体的に考えることを補記し権威にすがって良しと、錯覚しているのかもしれない。

 昔から「専門家」とか「先生」と揶揄気味に用いられるのには それなりの理由があるにちがいない。

その事を無視して権威の道具として利用し、またその事を自覚しない「先生」たちが社会を行き詰まらせ迷わせてはいるような気がしてならない。

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