難しさ

 

    一人一人は間違いなく親は子を思い子は親を案じている。

   一人一人は間違いなくこの大地と自然が大好きだ。

 なのに、 全体としてはその逆の方向へ向かって人間活動は為される。

    この個人の心情と社会的行動が一致せず逆向きになっていることに気が付かないのは何故なんだろう?

   人は仕組みの中で生きざるを得ず、社会の仕組みが逆向きになってしまっては 環境に適応して生きる人間は 不一致を意識していては 生きて行けないように出来ているのかもしれない。

   それでは、仕組みを個人の心情に合わせて作るのは 一体誰なんだろう?

    災害などによって他から強いられないと自らの意志で己の心情を実現することが出来ないのだとは 考えたくもない。

          それでは生み育ててくれた親に申しわけなく、気持ちよく往生できるはずがない。

    

   

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 普通でない普通

  

     富を求めて津波に向かって走る人の群れが (正気の沙汰)じゃないことをやるのは当たり前の事かもしれない。

    社会の培養液とも言えるマスコミが普通でない事を普通にやっていることにコマーシャルがある。

    人の茶の間まで無断で入ってくるだけではない。

    テレビの番組を見ていると、それを遮ってコマーシャルが 頻繁に時には幾種も連続して入る。

    人の思考をこんなに寸断する権利が誰にあるのか?

     思想信条の基になる思考が遮断され、どうして思想や信条を築けるだろう?

    基本的人権の根幹を蹂躙されている感がしてならない。

    こんな事をしていて、どうしてマスコミは思想や表現の自由を口にできるか、全く辻褄が合わない。

   社会にどんな商品やサービスがあるかは、一般の庶民も無関心ではない。だから宣伝や広告が(悪)ではないが、だからと言ってどんなやり方も許されるものではなく、憲法的に言うと(公共の福祉)に反してはいないか。

    マスコミが宣伝や広告を取り上げても良いのだが、それには節度をもって、新聞折り込みの広告の処分に煩わされたりしないようにしてほしいものだし、テレビははコマーシャルの番組を別に作るか、せめて番組と番組の間にして、途中で番組を遮るようなまねはやめてほしものだ。

   この事が世間の話題にもならずにコメントするジャーナリストも知らいほど(正気の沙汰でない) ことが罷り通っている。

    もっとも、富を求めて津波に向うのからすれば、大きな事では無い。

  

      

 

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