見えなくしている情報

 

    久しぶりに東京新聞の社説が良かった。

     温暖化を世界が協力して取り組むよう促す内容。

    ウクライナはじめ世界が直面している問題は ほとんどが国境を越えた問題であり、差し迫った問題ばかり。

    久しぶりに読者の視野を世界に拡げんとする良い社説だが、同時に呑気さも感じた。

      その顕著な例が2本目の「黒田1年目」題した社説だが、 景気回復の果汁

を日本の津々浦々まで及ぼし経済の好循環を生むはずのアベノミクスが、春闘の山場も終えた今日の現状がそれとはおよそ似ても似つかぬすスタグフレーションの様相を呈しているにもかかわらず、未だ期待を持たせるような内容を

  社説として堂々と述べている。  『専門家』でないから分かるのかもしれない。

   他紙と比べて「良心的報道」とも逆に「偏向報道」とさえ言われいるいる東京新聞が これじゃ、そのうちエラク『どんでん』(びっくり)すること請け合いだ。

 日本や世界の状況は良心的で偏向」した情報と 違い過ぎていないか。 違った日本や世界を見ているようだ。

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「放っておけない」

 

     日本や世界の現状に安心し明るい未来を感じている人はどれだけいるだろう?

    どうしてもその気になれず、「放っておけない」気持ちになる。これが自分にとっては平常のなのだが、世の中は この逆が「平常」なのかな? と時々思う。 異常と平常が 区別しにくい時代である。

   

    

  

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