世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
待たれる幕開け
一つの芝居は幕が開いて始まり 幕を閉めて終わる。
地上の芝居は幕の開け閉めはないが、時代の転換期が幕の開け閉めのような役割をする。
近・現代も永久に続くことは有りえないから、いつか必ず新しい時代の幕は開く。
今は新しい芝居への転換期。
そういう意味では幕を閉じるリーダーと次の幕を開けるリーダーは役割の分担。
世界のリーダーはほとんどが幕閉めのリーダーのようだし、新しい幕開けのリーダーはまだはっきりした姿を見せていない。
子供たちに膨大なツケを回し 首が回らなくなりながら、にさらに借金を積重ねるリーダーたちは一生懸命幕を閉じようとしているに違いない。
幕開けの担当が登場しないから引き継げず 頑張りが 目につく。
対立の根っこ
物事は主観的にはどうにでも見えるものだが、物事は客観的な関係でしか推移しない。だから地球や人間社会の荒れようは 人類のの平和と繁栄を願う人間の主観の中身が如何に客観性を欠いていたかを物語っている。
午前中、政治のテレビ討論は立場や主張は異なっても主観を中心にした論調は共通していた。
小さな芝居小屋
世界は( 地球を舞台にした人間の大きなお芝居) のようなもの。
そのお芝居の中で一人一人の誰もが小さな(私の物語)を紡ぎ演じている。
消費増税や時局の政治討論を見ていると、主張の如何を問わず背景になる大きなお芝居を抜きにした、ちいさな内輪の話をしているようだ。
10月1日の首相の(熟慮の判断による)経済成長を保障する消費増税の決断のお話をどう見るか。
アメリカ政府の一部閉鎖に象徴されるように、大きな物語は ある国の消費税の如何で経済がどうにかなるような話だろうか。
まして、大きな芝居の舞台である地球からすると、大きな芝居そのものが古くて舞台にそぐわなくなっていないる。
2重に時代遅れの小さな小さな芝居小屋の芝居を子供たちには どう説明したら良いのだろう?
愛の真実性
勿論 自分をど真ん中に据えての話だが
私たちは「愛してる」と自分の子どもや好きな異性によく使う。
本当に「愛してる」にふさわしく愛しているだろうか?
地球や社会をこんなにボロボロにして、どうして平気でおられよう。
{愛してる』感情は間違いないとは思うが ひょっとすると 自分に酔っているだけかもしれない。
自分をど真ん中に置いてあらためて「愛」の真実性を見つめてみたい。
チャンス到来!
超大国のガタやそれに順じた大国のハチャメチャ振りが目立つ。
これは世界の支配構造の賞味期限とポスト近・現代化を促す希望を意味していないか。
人類もまた足場を大自然から離すには限度があり大転換のチャンス到来…反面的だが子供
や若者たちへ向けた僅かな光明を見逃してはならない!
守りたい(山の老人園)
そこは 極楽のような(山の老人園)
畑の石堀で悪戦していたら裏の外人さんが長いバーベルで上手に掘り起こしてくれた。そこにタイムリーに道路工事の車が通りかかり、二人のお兄さんがでシャベルで運びだし持って行ってくれた。もちろんタダ。
極楽で地獄のような強制労働をしていたら いつのまにやら そこは極楽。
そんな極楽のような(山の老人園)をも壊すやつがいる。
子どもに明るい将来を本気で語れるか?
他人事ではないが、オバマさんや安部さんは子供たちに彼らの将来をどう語るのだろう?
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