知識と感覚のズレ

 

 24・5日オランダで開かれる核サミットを機にウクライナ問題でG7、悪化した日韓関係をめぐって首脳会談が予定されている。問題の背景にある世界のマネーゲーム(過度に金融化した経済)とパワーゲーム(弱肉強食の競争原理)を棚上げしたまま議論していたのでは目先を糊塗出来ても根本的な解決へ向かうとは考えられない。

  グローバルに関係し合っている世界にあって 国家中心の視野しか持てない首脳が

   話し合っても出口を見つけるのが無理な相談であることは自明。

  この問題で流されているテレビや新聞の解説は何れも的を外しているように思えてならない。 

  時代を転換する必要性に気づいているのかどうか、何れも積極的発言は見られない。

 耳にするほど、「グローバル化」はリーダーや論者の視野には無いのだろう。

人の持つ知識と感覚のズレの顕著な表われだろうと思う。

 そんな中、おっとり刀でパワーゲームに向かっている首脳もいるようだが浮いた感じがしないでもない。

 

    

  

 

 

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世界は翼賛政治

日本を舞台にした政治状況は日本共産党や海外からも指摘されるような国家主義への動きは翼賛的かもしれない。

 世界を舞台にした政治状況も基準や見方によって 共産党や海外の指摘する国やメディアを含め翼賛的ではないか。

 現代社会は 自然・人間・社会と存在の優先する アリストテレス以来の歴史的な哲理がいつの間にか、逆に社会・人間・自然に入れ替わっている。

 少なくても価値観は自然中心から人間中心になった。。

 現代は 近代の思想と科学技術によって自然を犠牲にしながら人間中心の弱肉強食的な競争を原理にしながら利潤を優先した活動が営まれている。

 存在の哲理は今も変わらないのに、、この世界の体制に異を唱える政治勢力はどこにも存在せず、その意味で世界は翼賛政治を行っている。

 

 

 

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見えなくしている情報

 

    久しぶりに東京新聞の社説が良かった。

     温暖化を世界が協力して取り組むよう促す内容。

    ウクライナはじめ世界が直面している問題は ほとんどが国境を越えた問題であり、差し迫った問題ばかり。

    久しぶりに読者の視野を世界に拡げんとする良い社説だが、同時に呑気さも感じた。

      その顕著な例が2本目の「黒田1年目」題した社説だが、 景気回復の果汁

を日本の津々浦々まで及ぼし経済の好循環を生むはずのアベノミクスが、春闘の山場も終えた今日の現状がそれとはおよそ似ても似つかぬすスタグフレーションの様相を呈しているにもかかわらず、未だ期待を持たせるような内容を

  社説として堂々と述べている。  『専門家』でないから分かるのかもしれない。

   他紙と比べて「良心的報道」とも逆に「偏向報道」とさえ言われいるいる東京新聞が これじゃ、そのうちエラク『どんでん』(びっくり)すること請け合いだ。

 日本や世界の状況は良心的で偏向」した情報と 違い過ぎていないか。 違った日本や世界を見ているようだ。

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「放っておけない」

 

     日本や世界の現状に安心し明るい未来を感じている人はどれだけいるだろう?

    どうしてもその気になれず、「放っておけない」気持ちになる。これが自分にとっては平常のなのだが、世の中は この逆が「平常」なのかな? と時々思う。 異常と平常が 区別しにくい時代である。

   

    

  

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 秩序が依拠するもの

 

  伝えられるウクライナ情勢を見ていると、 太古の昔から力ずくでエサを獲ってきた人類の伝統は今もしっかり引き継いでいるんだと、つくずく思った。

   長い歴史を刻んできたのに経済的利益を得る最大の手段は 相変わらず武力(暴力)をもって弱肉強食を公とする。

  こんな原理的な事を知らずして今に至っていた。

   こんなことを当然とする社会で、ウソが罷り通るのは 当たり前と言えば当たり前か。

  これが 秩序の依拠しているところか。

   とにかくウクライナのニュースは 大事な部分を墨塗りされているようで、謎解きの問題を見ているようだ。

   

   

  

 

   

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言い訳できる?

 

      東京新聞もここで堂々と安倍政権に追随し日本の「集団安全保障」を向い入れたようだ。

     大手新聞とⅠ線を画すかのような東京新聞だったが、やはり外交と経済については政府の政策と基盤を共有

     しないと成り立たないところまで来てしまったか。 あからさまに社説で書かれるとショックではある。

     マスコミは上意を受けて役割分担して世論作りしているのだろう。

    現代社会において主体性の放棄は簡単だが、主体性を維持するのは 個人も組織も国家であっても ひどく難しいようだ。  

    この事を子供たちにどう伝えたら良いか?

     

      

  

    

    

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ニュースの表と裏

ウクライナの情報は西側陣営からの物ばかりで、全体が見えない。

一方、春闘は山場を終えたのに 全国的なベースアップの情報は伝えられない。

 国際関係や国内の焦点とも言えるニュースが こんな具合である。 

 全容が見えなかったり、時機を逸したニュースが 果たして「ニュース」と言えるのだろうか?

  「ニュース」は裏の心で伝えているのかもしれないが、そうもいくまい。

   

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「思い」と「事実」は一致せず

 

    (出鱈目人間)は どこにも一人として存在しないのに、人間活動を全体として見ると(出鱈目)になるのは 何故だろう? 

    もともと 人の「思い」と「事実」は」 一致しないことは 分かってはいるが。「思い」も個人となると、ズレや違いは殊更大きくなるんだろうな。

    

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学ぶより忘れるな!

 

  大人は己が(人の子)であったことを忘れたかのように不条理な経済活動と不正常な国際関係を変えようともせず推し進め、「幸多かれ!」と(人の子)を生み育てている。 

 人間は 間違いを学ぶより、大事なことを忘れない方がよっぽどいい。 

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不正常な国際関係

 

大国のウクライナへの介入を見るまでもなく 「内政不干渉」を説きながら内政干渉する国々は多い。

現在は 超大国や特定の核を持つ国が当然であるかのように介入し弱小国はそれに従う世界の構造。

 弱小国の主権を無視したこれらの行動を正当化して、どうして世界全体の平和が 実現出来るだろう?

  強国が口にする(世界の平和)は弱小国を犠牲に、自国の平和を謳ってるに等しい。

   我が国は 列強国か弱小国かは 分からない。 どっちみち 国際関係は不正常の上に成り立っている。

    (現役の頃、ここまでとは考えていなかった。)

  

   

    

   

    

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