ニュースを見ながら願うこと

 


           新聞やテレビのニュースを見ながらつくづく思う。

  

       50年-100年 とかかる時代の転換だから仕方ないのかもしれないが、世界も日本も異常気象のようだ。

   70年前の日本の戦争の愚かさと、敗北を宣言した8月15日の透き通るような日本晴れが、今後50年-100年後の世界の風景が重なって見える。

    当時、 日本は 己を知らず戦い敗れ、現在、世界が己を知らず自然(宇宙に浮かぶ地球)を相手に戦争していかのようだ。

     彼我の関係を見ない戦いの結果は明らかだろう。  

    出来るだけ犠牲を少なくし、戦後に向けて準備すれば良いのに… と願っている。

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 混乱

 

    (自由)のことが世界的な話題になっている。

    人は自然の一部であり、自然と人の基本的な関係からすると、人が「自由」を絶対的だと思うかどうかは勝手だが、自然の現実や事実と一致すろとは限らない。

       フランス革命における「自由」は天から与えられた自然法ではなかったか?。

     「間違ったテロ」を「間違った表現の自由」で 間違いを相殺し 薄めていないだろうか。

       世界は 混乱しているようだ。

     

     

    

     

    

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新しい道

 

  現行の 教育理念や目標を(自然に順じた教育)に転換しその能力を高めようとするなら、その学習内容は

    自然と人間

    自然と暮らし
     
       自然と社会

    自然と安全

    自然と幸福

    自然と言葉

    自然と科学

    自然と宗教

    自然と文化

    自然と芸術

     自然と運動

    自然と経済

    自然と政治 

    自然と法律           

                   … 等々 人間活動の全てにわたった学習・教育・指導の系統的な計画と体制が必要になる。

             
              そうなれば

                     新聞の見出し、テレビの番組表、 図書館本棚に並ぶ本の背表紙は一新し、大人の顔も少しは明るくなるだろうし、

          何より 教室の雰囲気や子どもたちの顔を想像するだけでもワクワクする。

                   (この大上段にかぶった昼間の初夢は 「お金と…」を「自然と…」に入れ替えただけのような気もする…

         とにかく、今日の行き詰まりと混乱を抜け出すには 人々が広く自然の体験と学習を積み、自然への対応能力を高めることが必要ではないだろうか。

         行き詰まり出口のない「いつか来た道」ではなく幸福を得、生き延びる「新しい道」の一つかもしれない。)

           

  

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世界は 教育に求めている

 

      人は 人の内・外(うち・そと)の自然を壊しても富を築こうとする現代社会の教育体制の中で、教育のエリートが その為の技は磨けても、自然に順じる能力が 反比例するかのように減退するのは 仕方ない。

      「壊す」と「順じる」は両立しないが無関係でもない。

  基本的な教育体制が異なる中で、自然に順じる能力を高めるためには、相当の教育計画が必要であり、結果の科学的検証は欠かせない。  

          新しい系統的な計画・実践・検証を  世界は 求めていないか。(新年の懲りないホラ話)

  

   

   

  

   

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 「自然体」では済まない時代

 

 

自主カリキュラムを組むめるなら  教育の基本を≪自然≫に据えれば良かったと 今になって反省している。

 現行の教育の基本は(人格形成)だが、理念的にも実際も 基本が曖昧であり、結果として今日の世界に見るような行き詰まりや混乱をもたらしている。

 「アイ アム シャルレ」で見るように

 (神から人)への 思想史的課題を乗り越えるべくこの時代転換の期に 一人一人は 一つ一つの動きが問われている。

  私はどうしたら良いのだろう… 単なる人を中心にした(自然体)では なさそう。

   

 

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戦いより解決

 

    熱烈な「アイ アム シャルリエブド 」に対し その評価は 国際社会に新たに亀裂が生じたとの見方もあり、単純に見ることは出来ない。  
      シャルリエブドに対しては  「言論・表現の自由」と「公序・良俗」や 「信教の自由」との関係から (自由のはき違い)を指摘する声もある。

      良くも悪くも テロに グローバル化の意味を持たせ、解決に余計な要素を持ち込んでいないだろうか? 間違いを間違いが薄めてはいないだろうか? 

        国家権力にたてつく者を都合よく「テロとの戦い」の名で封じ込める国が既に現れていないか?

    「戦いより解決」が 大切なのだから 曖昧してはならない。

    

    

    

    

    

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時代の顔

  人の顔を 田舎でよく見る滲み出るような素朴さと 都会でよく見る計算し尽くされたような格好良さの2つのパターーンに分けると 自分はどっちだろう?

    それはともかく、有名人は やたら都会風が多い。表情は言葉以上に価値観や人間性や人格が出てしまうから手ごわい。

      自然に順じた社会は それに合った顔が必要。

    社会がおかしくなっているのは 顔のせいかも知れない。

    マスコミに出てくる有名人は 格好良過ぎ山道や磯辺に不似合いだから、次の時代を背負うには不向きかもしれない。

    生まれてくるのが150年年早過ぎたか?

 

     

    

      

    

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「自由」の2面性

 

    

 権力と一体になって一方的に流される情報を見て思うことは

        期待される歴史的なグローバリゼーションは 「自由」の名による 無政府状態ではなく、自然に順じた世界的な統治なのだが。

     政治も経済も文化も「自由」の2面性が問われているのに…

     

   

  

     

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この星の不思議

 

   昨日夕方の帰り道、星や月を見ていると 大して大きくも無いこの地球で 大半の困窮した人々の渦の中にいて 

          お笑いだグルメだ買い物だとハシャギまわり 加えて手元のケースから取り出した小さな映像に見入ってる 大半の人々のことが 不思議に思えてきた。 

          目を逸らさず(ありのまま)がいい…

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「戦い」より【解決】

 

    「テロとの戦い」と言いながら、テロの拡散を恐れているのは、

    その戦い方に問題のあることを意味しいないか?

   大事なのは 戦う事ではなく 横たわる問題を解決し テロを無くすこと。

    そんな当然の世論や動きは どうして起きない?

    「テロとの戦い」が始まって15年になる。

    

     

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