世界は呑気

 

  経済活動によって自然を喪失している世界は 自然を回復すること無しに 持続的な存在は あり得ず、個人も組織も 状況の変化を認識して 価値観を転換し 社会や個人が自然を取り戻すための(触媒)の役割を果たすことが 一人一人が自らに求められている。そう考えている。

    現在は人類や社会の存在そのものが問われているのであって (呑気も良いが)経済成長」や「安全保障」を云々している場合ではない。

  グローバリゼーション(地球化)は休みなく進み、なるようになるものではある。

 

 

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いやみ(嫌味)

 

 

   4~6月期のマイナスGDP値を巡る新聞各社の評価が面白い。

 「アベノミクスの破綻」「踊場」「成長の持続」まで色々で、マイナス要因を「個人消費の落ち込み」や外国に求めたりして期待をつなぐ論調が全体的には多かった。

  「政策の間違い」とする評価は無かったが、今後の解説が 筋書きが見えるようで 楽しみではある。(いつの間にかイヤミを身に着けていた。)

   

 

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見苦しい

 

 開けても暮れても マスコミが隣国の事故や動きを取り上げ 政府や体制への非難を繰り返すのは 見苦しい。  自国の原発事故をはじめ過去の航空機や列車事故、違法建築などの処理の仕方や責任のことをを忘れたか?

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試される一般人の対応力

 

     社会や人間活動は 地上の自然環境・人口や年齢構成・市場の変化に 対応せざるを得ないから 今日の世界や日本の行き詰まりは 変化に対応出来ないでいる 姿でもある。

 「アベノミクス」の破綻がやっと囁かされ始めたが  当然の事であって 状況認識の間違いが 露わになってきたことを意味している。

 国の間違いは 全ての国民の隅々に至る1人1人の社会的な活動の方針や政策の軌道修正や転換を求めているとも言える。

  専門的な有識者が 全体的な認識や対応力を兼ね備えるのは 一般の人1人1人より難しいことを 互いに知るべきだろう。

  

 

  

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見えにくい2~3年先

 

   人智を越えた自然界に生きていて予期せぬことが起きるのは (普通)だろう。

    2~3年前に IS国,AIIB,原発再稼働、安保法制の議決を予測していた人がいただろうか? 

   国の内外だけでなく 身近な住む町や隣近所まで 2~3年先を読むのは難しい。

   市の広報に記事が実態とかけ離れているのも珍しくはない。

   まして 10数年前に現在の世界や日本 住んでいる地域の変化を予測出来なかったように、子供たちが成人する10数年先の予測は難しいが もう少し前後を明らかにする必要性はある。 

   

   

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日本だけ?

 

    8.15を中心に戦争と平和の言葉が対語のようにして飛び交っている。誰しもが願っている(幸福)で2つの言葉を見比べた時、果たして対語になるだろうか? 用いる言葉の概念を曖昧にいして論じているのに違和感を感ずる。日本だけだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

  

  

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 教育の依拠するところ

 

   「追いつけ・追い越せ」の時代は高学歴は 個人も企業も有利かもしれないが、先進国は 過去へのお拘りから7マイナスに働くことが考えられる。

 弱肉強食の経済体制にあって、日本のような国

が力を落とすのは 旧態の学歴信仰に依存しているからであって、経済の基盤である自然を基にした社会の全体を俯瞰し創造的に発展させる力を欠いているからに他ならない。

  これは 経済力が 単に資本の大小による競争に依らないことを示すものだが 国は旧態の教育行政を強化しようとして止まない。

 現状が抱える課題に逆行しているのは 安全保障や経済だけでなく未来につながる教育も 転換の兆しすら無い。

 人間活動の要は 見かけの経済力に追随した教育ではなく 現状から直接導かれた教育ではないか。

 払う授業料が足りないのか 感覚が眠っているのか? いずれ 気が付くことだが……

   

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 1人1人の視野の確認 

 

   世界の基本的な仕組みは 自然―人―社会 の順序で成り立っている。そんな中で地上の人間社会は70億人存在し(世界の平和や繁栄)を考えたら70億の人間全体を視野にしてものを考えるべきだが、現実的な問題解決で そんな言説を目にすることはほとんどなく 現状では、期待も出来ない。

 脳が発達し教育が高度化すればするほど 人は視野を狭くし(世界の平和や繁栄)とは逆方向に走っているかのようだ。

  グローバリズム(地球化)は 自然の帰結であって 人為に依拠していないから好い。 

  世界では 今日も何千の難民が命を落とし 日本では70人からの自殺者を出している事実。

  これから目を逸らせ、平和や繁栄を語って 何の意味があるか。視野の確認は 主義主張で議論する以前の作法だろうと思う。

  見ているところを異にしながらの議論を 国会でよく見るが、これは政治問題ではなく 文化の問題だろう。

   

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 ≪ネオ≫より≪自然≫

 

この大きな時代転換期に現れた’新自由主義)や)新保守主義) 「新」はつくものの求めるところは グローバリズム(地球化)とは 逆なようだ。

 金融経済を中心に国家の発展を期す考え方は 地球規模で自然との共生を構想するものとは異なる。

 しかし、グローバリズムは主義・主張とは異なり 変化の有様であって 経過はあっても 人為によって変えられるものではない。

 (ネオ)より(本来や自然)の方が新鮮に映る。

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そんなことをやってる場合ではない

 

  子供たちに大きな借金を背負わせ 世界に(積極的平和主義)の旗を振る。 

先ずは よそ様に迷惑をかけず 子供への重荷を下ろしてあげれば良い。  見え(見栄)張ってる場合ではないのだが。

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