先の見えない時代

1年前に今日の世界の様子を思い浮かべられた人はどれだけいたろうか?

多分 1年後の世界や日本を(大方)であっても想像できる人はこれまで同様、あまりいないかもしれない。

 結局、世界は先の見通しを見失ったまま、歩み進むことになるんだろう。

それは 悪い事ばかりではない筈だ。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

病識

地上の異変と痩せつつある世界経済を前に、国連や世界の国々は どうしようとしているんだろう?

自然環境や世界経済悪化の対策を後回にして、(従前どおり)を繰り返したり勢力争いに耽っていては、悪化は止まらない。

「悪い」と解っていて止められないのは 一種の人類規模の嗜癖行動を思い浮かべる。脱する道を探らなければならないが、今は病識すら無いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

病識

地上の異変と痩せつつある世界経済を前に、国連や世界の国々は どうしようとしているんだろう?

自然環境や世界経済悪化の対策を後回にして、(従前どおり)を繰り返したり勢力争いに耽っていては、悪化は止まらない。

「悪い」と解っていて止められないのは 一種の人類規模の嗜癖行動を思い浮かべる。脱する道を探らなければならないが、今は病識すら無いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

無駄な繰り返す空振り

テレビは連日 国内の観光地案内をし続けている。

輸出もままならない現在、観光立国に衣替えしたかの印象を覚える。

世界の観光地の繁盛ぶりはどうだろう? 世界的な経済危機に在ってマスコミからも、冴えない実態が伺える。

経済の積極的な出口戦略とは考え難い。

経済危機の背景や実態を明らかにしないまま事を進めているようだが、将来の被害が大きくなるだけだろう。

原点に戻って 確実で着実な一歩を踏み出してほしい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

時間の問題

世界の無政府状態は益々進みそうだ。

国家の枠を超えて世界がまとまることを呼び掛ける声が起きても可笑しくないが、その声はどこからも聞こえない。

世界は第2次世界大戦後より 人類がまとまければならない条件は 限度を超えており、放置できない状況のまま続いてる。「待てば海路の日和あり」❣

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界の一元化

世界が丸ごとアメリカに順ったら 世界は丸く収まるだろうか?

難しいだろう と思う。

何故なら 既に アメリカは 多くの貧困層を抱え 国家を2分するような内部の勢力争いを続けており、収束の見通しも無い まして舞台を世界に広げるのは 論理的に難しいだろう。

どうしたら可能か?

結局、世界全体を一極化した組織にして 立ち上げる以外に無い と思う。

戦後 一時的ではあったが言われた「世界国家」(呼称はどうあれ)をここで再度可能性を探るぐらいの声は上がっても良い筈だが・・。

世界がこれだけ密接な関係にありながら、まともな統治機関を作れないでいる人類の在り方に(無政府状態)を連想する。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

自滅行為

世界は自然災害が年々増大しているが、手をこまぬいて待っているかのようにさえ見える。

自然災害だけでなく人為災害も共に 今後は増大の一途を辿るだろう。

しかも自然災害の背景にも 人間の活動が垣間見られているのに‥・である。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

気付きを増やす

人類は富や同類の他人の動きにばかり目が行き、地上の現状や変化に適応できないでいる絶滅危惧種のようだ。

やがて行動に質的に新たな変化も表れてくるとは思うが鈍い。

少々の気付きはあっても 全体的な変化には時間が掛かるようだ。

しかし、人類的には気付きに蓋をする力が余りにも大きく、自然に任せるか 気付く人を増やしスピードを上げる他ない。
今は「成り行き任せ。」で次の大きな災害を待っているかのようだ。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界の調整機能

 

超大国アメリカを中心に世界は回っているが、 

根本的な矛盾を抱えており、解決へ向かわない以上行き詰まりを打開することは出来ないだろう。

原因は利益を優先し自然界との調整を損ねていることであり、比較的自然界と共生して来た国家群は弱小 だと言える。

行き詰まりの打開が(自然界との共生)にあるなら、米国は弱小国家群から

学ばなければならないが、そのような体制にはなっていないようだ。

世界は それをどう調整するかが問われてるのであって、今のように争っているような場合では無い。 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

行き詰まりは必定

国連憲章にも世界の何処の憲法にも 世界や国家と自然との関係は記されていない。

未だに 人類は「人類と自然」の関係を明確に認識していないからではないだろうか。

逆に、自然との関係では 人間中心の法体系になっていないか。

自然界に「自然の理」を基に地上に登場した人類が「自然の理」に反して「人類中心の法」に基づき行動して 今日に至り行き詰まっているように見える。

仮にそうだとすれば、行き詰まりは「必定」だろう。物事は成るべくして成っているだけ。

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ 次ページ »