「国がそこまで口出しするなよ」
「そんなの個人の自由に任せればいいの」
一日に3回以上、そう考えるあなたは、
リバタリアンの素質、十分である。
日米の勝ち組エリートの多くが、
実は密かに支持する「リバタリアニズム」。
その実像を、気鋭の学究が懇切丁寧に解説!
表紙裏にこう内容が説明されている。
「日米の勝ち組エリートの多くが、実は密かに支持する」ってのに、腹立ちませんか? じゃ、当然、著者は勝ち組なんだろうなと著者紹介を読む。
経済学者。1966年富山県生まれ。東京大学法学部卒業。
カリフォルニア大学サン・ディエゴ校PhD(Economics)取得。
名古屋商科大学商学部専任講師をへて、98年から岐阜聖徳
学園大学経済情報学部助教授。著書に『現代のマクロ経済
学』、共訳に『人種・進化・行動』(l・フィリップ・ラシ
ュトン著)。
なんだい、富山の田舎者じゃないか。東京大学法学部卒業かあ、勝ち組だな。カリフォルニア大学サン・ディエゴ校? よくわからんな。名古屋商科大学、岐阜聖徳学園大学、これは
Fランだな。勝ち負けをいうなら、微妙じゃないかな。
『リバタリアン宣言』(蔵 研也 朝日新書 2007)
今は亡きゴマブックスや今もあるのかワニブックスみたいな、「勝ち組エリートが密かに支持する」といったエグイ煽りをしてみせ、「朝日らしくないでしょ」と物欲しげなところが、いかにも昨今落ち目の朝日らしい。ならばいっそ、『勝ち組宣言』とでもすればいいものを、腰が引けてからに。
腹立つ本ですよ。嫌な奴ですよ。この本書いている蔵っての。アメリカの保守思想のひとつである「
リバタリアニズム」を探求して20年という触れ込みだが、大学時代から友人たちと話していて、いつも不思議に思っていたそうだ。
「なぜ他者に加害することのない麻薬などをとりまるのか?」
「なぜ高校生などの性的な交渉の意味が理解できる個人との買売春を規制するのか?」
嫌な東大生だねえ。取り締まり規制するに決まっているじゃないか! そんなこともわからないから、東大生ってのは、と舌打ちされるんだよ。
大学の教員でありながら、教育は日本語と英語と数学だけでよい、ともいっている。歴史や理科は要らないって。
最近の格差社会の拡大については、格差のどこが悪い、と開き直っている。
「
シッコ」という映画で、マイケルムーア監督が民間保険会社のおかげで、どれほどアメリカの医療が壊滅的な打撃を受けているか、完膚無きまで暴露したのに、そのアメリカの医療制度を真似しろというのだ。
腹立つでしょ。アメリカかぶれがエリート風吹かしやがって、ムチャクチャいってからにと。
でもね、この本読んで、
サンデル先生のコミュニタリアズムとか、
ジョン・ロールズの正義論とか、なんとなくわかったような気がした。彼らは、人々の才能や努力も不公平のひとつに数え上げていたが、「リバタリアニズム」では、人々が自らの努力と才能で得たものを自己実現したと認める。「リバタリアニズム」への反論のようだ。
また、リベラリズムはどうしていつも、「暴虐の雲光を覆い、敵の嵐は荒れ狂う~」(ワルシャワ労働歌)になるのか。抑圧的に働き、ときに好戦的になるのか。この本によって、合点がいったところがある。リベラリズムとは、ファシズムに対抗して出てきたものだと思ってきた。しかしどうも、リベラリズムの対抗軸は、「リバタリアニズム」なのかなと思えてきた。そして、「リバタリアニズム」の対抗軸は、リベラリズムのファシズムの根ではないかと。
ザッと通読しただけなので、かなり迂闊なことをいっているかもしれないが、自由とか、民主主義とか、国家とか、そんなことを考えようとしたとき、「リバタリアニズム」は避けて通れないようです。思想とか迂遠なことは苦手だなという短気な人でも、現代アメリカ社会を理解するには必ず知るべき考えかたらしい。何せ、1989年にアメリカの大手出版社ランダム・ハウスが、20世紀の小説ベスト100を読者投票を募ったところ、「リバタリアニズム」の代表的な小説家
アイン・ランドの作品が、第1、2、7、8位に入ったというのですから。
なぜ、アメリカには、国家による国民皆保険制度に強硬に反対する勢力がいるのか。なぜ、ビル・ゲイツは何千億円も慈善団体に寄付するのか。民主党と共和党の違いとは? サラ・ペイリン人気とティー・パーティとは何か。もちろん、小泉政権の規制緩和政策や郵政選挙など、日本のトピックも「リバタリアニズム」の視点からマッピングされ、その影響がわかります。ただし、「20年来、リバタリアニズムを探求」として研究者の立場をとらない著者は、「リバタリアニズム」の究極モデルについては、違和感や留保を置きながら紹介しているところが、率直で好感が持てます。
「リバタリアニズム」は、国家の介入を最小限にしようとする、その思想の本義からして、多数派工作にはなじまない。一国の政権をとることはけっしてない。その意味では、地球上でもっとも穏健な思想かもしれない。そんなことを、下の「ノラン・チャート」を眺めながら考えています。
コタツ注:勝ち組云々は、著者の文章ではなく、たぶん編集者によるものです。人生に勝ち負けなし、というのがリバタリアンの矜持でしょう。リバタリアンからオバタリアンを連想したあなた、私と同じです。
(敬称略)