今日の読売新聞に「施設にバスの来ないバス停」という見出しの記事が。
どういうこと?と読んでみたら、愛知県豊橋市の認知症高齢者が暮らすグループホームの敷地内に、標識とベンチがある「バス停」が設けてあるのだそうです。
実際にバスは来ないのだけど、自宅に帰ろうとする利用者を、ここで少し待とうといって引き留めるのですって。
そこで雑談などしながら暫く過ごすと、利用者も帰れると思って安心し、気持ちが切り替わるのだそうです。
どういうこと?と読んでみたら、愛知県豊橋市の認知症高齢者が暮らすグループホームの敷地内に、標識とベンチがある「バス停」が設けてあるのだそうです。
実際にバスは来ないのだけど、自宅に帰ろうとする利用者を、ここで少し待とうといって引き留めるのですって。
そこで雑談などしながら暫く過ごすと、利用者も帰れると思って安心し、気持ちが切り替わるのだそうです。
なるほどねえ。
認知症の人が訳の分からないことを言っても、頭から否定しない、まず肯定し、時間をかけて気をそらすことが鉄則と言われているようです。
しかし分かっていても、ごく近い身内にそんなことは中々できない。
私の母は幸い、認知症とは言われないままに亡くなりましたが、晩年90歳を過ぎたあたりから、財布や指輪が無くなっただのと時々ヘンなことを口にしていました。
元々ワガママな性格だったので、それが認知症によるものかそうでないのか判別しかねるのが難しいところでしたが…
そんなことをしつこく言われると、優しく応対するというのは非常に難しいものです。
連休は終わって、普段の生活に戻りました。
なんといっても今年は長男一家の一時帰国がメインの出来事だったので、その他は読書したりガーデニングしたり、近場の温泉に行ったり。
備忘録として、花や料理の写真を。
殆どが多肉植物の花で、今年は黄色い花がよく咲いています。
料理は、家族から煮物のリクエストが多いので、なんだかいつも似たようなものばかり。
豚バラと大根の角煮、鮎の塩焼き、鶏手羽と大豆の煮込み、薬味ゴッソリのカツオのたたき、タケノコのおかか煮など。
これに小皿料理がチョコチョコ、御飯と味噌汁と漬物がもれなく付きます。
ホームの入居者が石川県に帰るというので、切符を作って持たせて、「みんなここで待っているから待ちましょうね」って待たせたことがありますよ。何度も。
デイサービスのほうでは、内線電話を使って、休憩室の「娘さん」から電話かけたふりをして、利用者の気持ちを落ち着かせたりなんてのも。
特にマニュアルはなかったし、認知症(当時は痴ほう症)のトレーニングなんてなくても、みんなやってましたねー。
私がきちんとDementiaの講習やらトレーニングやら受けたのはアメリカでです。そもそも大学でも講座があったし。
お庭にバス停があるなんていいですねぇ。
ヨーロッパの…どこの国だったか忘れてしまいましたが(北欧系だった気がする…)、大規模な認知症の施設内にはお買い物が出来る(疑似)お店まであるんだそうです。こちらのホームでは、アウティング・アクティヴィティとしてそういうことはやっているけど、本物のお店にお出かけするのは色々大変で、出来ない、させられないことも多いのですよ…。
ベランダのお花、綺麗に咲いていますね。
カランコエなどの多肉植物は乾燥に強いのでベランダ向き
かもしれませんね。
ただし夏の強い日差しは苦手のようです。
ご長男一家が帰省され、楽しいゴールデンウィークでしたね。
我が家は最後の2日間だけ上高地に行きましたが、
公共の宿しか取れなかったので、zooeyさんのお料理の方が
ずっとおいしそうです。
上高地ではニリンソウの群生やその葉を食べにやってくる、
可愛いお猿さんにたくさん出会えて癒されました。
可愛らしい花を咲かせてますね~。
「施設にバスの来ないバス停」
凄い取り組みです。
そうやって利用者を落ち着かせる・・・
よく思いつかれたもんですね。
うちの母もボケ始めた頃は、
どうにも受け入れられなくて
よくケンカをしたものでした。
今思えば、あれは認知症の始まりでした。
はい!ここからが病気ですよ、という
線引きは当然無いので、家族は戸惑うばかり。
もっとちゃんと理解してあげていれば
あの時期を穏やかに過ごせたのではないかと
今でも思ってしまいます。
zooeyさんのお料理~。やっぱりどれも美味しそう。
息子さんご一家の帰省は、大変でしたでしょうが
それを上回る幸せな時間を過ごされましたね!
確かに痴呆症と言っていました。
私は小学校6年の時、有吉佐和子の「恍惚の人」を読んで驚きました。
Limeさんは、Dementiaの講習やらトレーニングやら受けられて
今もそれに関するお仕事をなさっているのでしょうか?
私はヒマな専業主婦ですが、認知症にまつわる本や映画は嫌というほど接してきました。
認知症患者への対応が国によっても随分違うのだと驚きましたが
施設内にお店まで作っているところもあるのですね。
高所強風のせいで、ゼラニウムやその他の花は全滅してしまいました。
生き残ったのは多肉のみで、これは頑張って咲いてくれています。
植物がこんなに風に弱いとは知りませんでした。
上高地を楽しまれたのですね。
ニリンソウの群生やおサルさん、私も見てみたいです。
私の料理は簡単な物ばかりですが
2時間以上煮込まなくてはいけないので、息子たちは普段食べられないのだと思います。
プロだからこそできることという気もしますが。
こういった優しい対応をしてくれる施設があると知っただけで
何処かホッとするような思いです。
一昔前は、認知症の患者を拘束着やベルトで縛り付ける施設もあったようですものね。
今も実際の内情までは中々わからないのかもしれませんが…
ポンままさんのお母様は、よい施設に入られたようでよかったですね。
ままさんもよくなさいましたよ。
そうした病人を24時間家で介護するなんて
私には想像もできません。
はい、おかげさまで連休前半は大勢でバタバタと過ごし、
後半はその余韻を楽しんでゆっくりしていました。
赤ちゃんと、痴呆老人には、夕暮れ症候群が、ね。
夕方、みんな、ソワソワ、不穏になる。
帰ります!と。
そして、不思議な事に、帰る先は、、、
自分の育った住所を言われる。
原点なのね、きっと。
赤ちゃんの場合は、夕方になると、母親が一日の疲れ、夕飯の支度などで、母乳の出が悪くなり、赤ちゃんは、不満らしい。
お互い、帰省、無事乗り切りましたね。
ゆっくりしましょう♪
でも、夫も義妹もその微妙な変化に気が付かず。
私だけがずっと疑っていて・・・。
忘れっぽくというよりまったく忘れていることが多くなってました。
そして元々激しい性格だったのが、苛烈と言っていいほどに。
義妹は介護の専門職で現役で施設で高齢者のお世話をしてます。
義妹の旦那さんは介護施設の理事でもあるんです。
プロでもなかなか自分の親の変化には気が付きにくいのかなと思ってます。
でも、義母は昨年前半に骨折で入院していた時「脳トレ」のドリルを持参してました。
本人は多分自分の変化に気が付いていたと思います。
骨折での入院だったけど「連れて帰って!」と毎回言われて喚かれたのをバス停の話で思い出しました。
私の母は超ボケボケなんですけど認知症とボケは違うんだなと感じます。
特に今、高齢の方は、婚家で色々我慢していたという人が多いのでしょうね。
赤ちゃんも、そうでしたか。
くちこさんもお疲れ様でした。
普通の日常が始まりました。
早速、ジム、映画館に行っています。
気が付かれませんでしたか。
つくづく難しいのですねえ。
血縁の身内となると、どうしても認識が甘くなるのかしらね?
ぺんさんもお疲れ様でした。
「脳トレ」のドリルを持参していたという義母上の心情を考えると
切ないものがありますね。
私の母も、亡くなる数年前に長谷川式テストをした際にはなんとかクリアしたのですが…
認知症とボケは違う、私もそう思いました。
どう違うのかってうまく説明できないのですけどね。