ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

ドラマセラピーフェスティバル2008―①想定外

2008-03-11 09:52:57 | ワークショップの報告

なぜワークショップを終えた夜、心千々に乱れたかというと・・・。

上演とわかちあいが終了した時点で時計をみたとき、もうほとんど残り時間がなかったのです。そのとたん、アタママッシロ。

「あれもこれもあれもこれも用意していることはイッパイあるのに・・・」と思うとどうして良いのか分からない。

わかちあいの中で、Hさんがとても重要なことを言っていたのです。

ひとつは「子どもの役をやってみたら、体験を若い世代に伝えたいというのは、伝えたい側の気持ちであって、子どもにとってはあまり良く分からないことだと思った」と言われたこと。それに対して、小学校の先生から「子どもたちはとても良く受け止めてくれる。だから体験を伝えることは重要だ」と発言がありました。

Hさんは、子どもの役をやってみてこそ、感じたことがあったのです。どちらが正しいという話ではない。そのことはぜひどこかで触れておきたいと思っていました。

もうひとつ、Hさんは劇を観て「これは想像であって、事実はそうではないかもしれない。それなのにあたかも事実だと信じてしまうとしたら怖い」と言われました。これも大事なこと。そのために、私はクロージングとして、グループで「気づいたこと」「もっと知りたいこと」をキーワードで書き出すというワークを用意していました。そのなかで、想像と事実について触れたいと思っていました。事実を探求しようということを。

上演中は「あとでこれには触れよう」と意識していたのですが、ぶっとんでしまいました。

セッションをどう終えるか、たくさん言いたいことがある中で何を選択するか、また参加者のみなさんに渦巻いているであろう疑問にどう答えていくか。これらがグルグルしてくるなかで、大事なことをぼろぼろ落としてしまいました。それでも精一杯のことはやったと思います。

終了したとたん、半ば放心状態。何人かの方が、ワークショップの感想を聞かせてくださって、ひとりでも「良かった」と言ってもらえたなら、やった甲斐はあったと思えたのは事実です・・・。

けれど、やはり「あそこはああした方が良かった」「あのときにはこう声をかけるべきだった」「これはぜひ入れるべきだった」などとキリがなく、ぐるぐるぐるぐる・・・。

「あの時あのグループには介入が必要だったのでは」「グループ分けの方法はあれで良かったのか」「そもそもこのテーマを持ってきたこと自体がどうだったのか」というところまで。

でも、今回、このテーマは必要だったのです。私にとって。だからこそ私は自分の感情移入なしに劇を観ることはできなかったし、その意味で私の内面の揺らぎが大きかったのです。

テーマは「米軍ヘリコプター墜落事件」でした。決して楽しくないテーマです。私も含めて参加者の何人かが何かを揺さぶられ、何日か寝られなかったとしても、それはそれで仕方のないテーマです。

こう書くと、ひどい内容だったと思われるかもしれませんが、とても良かったのです。私がというより、参加者が。四つのグループがそれぞれがバラバラに相談し、別々につくったのに、まるでシリーズものを見ているように、繫がっていました。全部を見ることができた私には、どれもが本当に心に刻み込まれる内容でした。みんな、真剣にこのテーマに取り組んでくれたのです。

子どもを対象にするとき、このテーマはとても配慮が必要でしょう。大人を対象でも、このテーマを沖縄のワークショップで扱ったことはありません。人によっては衝撃的過ぎると思うからです。「基地と私」「基地と環境問題」という扱い方はありましたが。

どのような対象に、どういうテーマを選ぶのか。これはとても大切なことである。

時間の見積もりを誤って心の中でパニックになってしまったのは、劇に見入ってしまったということもあるけれど、いつも私が対象としていた人たちと、今回の参加者はずいぶん質が違っていたということもあります。だから必要なワークもそれに要する時間もまったく違ってきました。また新しい経験が増えました。

コメント
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