ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

ドラマセラピーフェスティバル2008―③WSの内容

2008-03-13 09:11:18 | ワークショップの報告

順序が逆になってしまいましたが、「学習に使えるドラマの技法」ワークショップの概要を示します。

3月9日15:30-17:40(17:30までの予定でした)。参加者24名。

開始の挨拶

ウォームアップ

・自己紹介(名前、職業・所属、期待することがあれば)

・ノビ(身体を伸ばす。自分の緊張を解くためでもありますが)

・マップ(現住所、出身地、沖縄に関心がある・旅行が好き)

・あちらかこちらか(教師をしたことがある、お金をもらって役者をしたことがある、お金をもらってセラピーを提供したことがある) ここでドラマ経験も聞いておけば良かったかも。

・リング(沖縄に滞在した日数)→三人ずつグループ分け

・自己紹介「沖縄体験あるいは『私にとって沖縄とは』」

・2グループが一緒になる。双方のグループの紹介

ここまで30分の予定が約45分経過

劇づくり

・テーマ「米軍ヘリ墜落事件」の提示

 沖縄国際大学HPより、事件当日の記録を読む
 墜落したヘリコプターについての説明
 グループ内でそれぞれが事件目撃者になって語る
 「沖縄国際大学図書館ヘリ墜落事件関係資料コーナー開設に当たって」の文書の一部を読む

・グループでの話し合い

 事件を目撃した誰かを主人公にシーンをつくる。目撃したシーンとそれを誰かに伝えるシーンの2場面(ドラマ経験が浅い方と劇づくりをするときは、このように細かく条件をつけません)。

「全員が出なくても良い」「各シーンはできるだけ簡潔に1分ぐらいで」と言いました。これには劇を短くして欲しいという意図がありました。また、それぞれの役柄を紙に書いてもらうことで、わかちあいのときに全員になんの役だったのかを語ってもらう時間を節約できないかと、紙とマジックを用意しましたが、これはまったく不用だったようです。何を演じているのか良く分からないということは、ほとんどありませんでした。

・上演とわかちあい

 ①米軍側から見たヘリコプター追突―米軍(司令官?管制官?)の記者会見
 ②ヘリコプター墜落を学内で体験した人(学生?)―基地がなくなった未来、オバアが小学校で子どもたちに事件を伝える
 ③墜落の衝撃でガラスが粉々に砕け赤ん坊を抱いて逃げた民家の母親―直後にニュースキャスターからインタビューされ「一体どうなったのか何も分かりません」
 ④米軍がヘリを大学に誘導、大学閉鎖―子どもを連れた被害にあった母親の大学への訴えと大学側の対応

ここまでは予定を変えつつも、予想以上に順調に経過。ちょっと時間がおしてるかな?と時計を見ると!

ナント!!!!!!!!!→アタママッシロ

ということで、用意していた「気づいたこと、知りたいこと」を書き出すワークは省略。

ふりかえり

ひとことずつ感想をもらって、「SACO合意と辺野古の新基地建設」関連の資料を配り、ヤンバルの森のスダジイのどんぐりを一粒ずつ味わってもらって、「ヤンバルの高江というところにヘリパッド(ヘリコプター発着基地)が新たにつくられようとしている」という話で締めくくるつもりでしたが・・・。余裕なし。予定していたこれらをやらなかったことは覚えているのですが、何をやったんだっけ。資料だけは終ってから思い出して配りました。

セッションを終えての質疑など

終了の挨拶

ふりかえり以後は、何を言ったかやったか、内容をほとんど覚えていません。挨拶らしい挨拶もしなかったかも。ただ、「ドラマは教育を変えられるか」セミナーや沖縄での第3回ドラマ教育研究会の宣伝だけは忘れずにしていたのは記憶に残っています。

ビデオにとって下さっているので、いずれは分かるのですが。
でも、見るのは怖い。

コメント
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