ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

差別意識

2021-02-18 08:13:06 | 日記・エッセイ・コラム
忘れないように書いておきたい。

今回、女性差別発言で森喜朗氏が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長を辞任した。

私は、差別発言をしてしまうということ自体は、誰でも大いにあることだと思う。
それが差別だという認識が十分でなかったということだ。
これまでの環境の中で学ぶ機会がないということはありえる。
彼ほどの地位であれば周りの人も教えてくれない。
現に問題の発言があったとき、周囲のだれも問題にせず、笑いでごまかした。

問題は、それが問題とされたときの態度だ。
彼は「私には差別の意図はなかった」という。
その認識の甘さだ。
差別の意図がないなら、同じことをまた繰り返し、数多くの女性の
あるいはマイノリティーの傷口を広げるだろう。

誰でも差別意識はあるのだ。
差別されている人は敏感だが、
差別する側は鈍感だ。
彼は自分が差別発言をしたと言われたことに、真摯に向き合うべきだった。
そうであったなら、謝罪することで許されたかもしれない。

そして今、橋本聖子氏が次期会長候補として挙げられている。
女性問題で前会長が失敗したから、今度は女性で?
女性であれば、差別発言をしないとでも?
彼女は、スポーツ界のヒエラルキーにどっぷり染まって育ったように思われる。
そうでなければ、ハラスメントの問題を起こしたりしないだろう。
彼女は、あの事件を契機に真摯に反省しただろうか。
当時の発言からは、そうは思えない。

ようするに、森氏と同じ穴のムジナに思える。
こういう人しか日本の代表として選出できないとしたら、
この国は人権軽視という病がかなり重症だ。

頭髪の色や形が強制されることに象徴される
教育がこういったことを許す土壌になっているように思える。
怒りを通り越して、悲しい。
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