怖い本だった。
山口県の限界集落で起こった5人の殺害と放火事件についてのレポートである。
中学校を出て東京で働いていた男が親元へ帰ってくる。
しかし男は、村人と馴染めない。
男は次第に自分について良からぬ噂をしていると妄想を膨らます。
これが単に妄想なのか、本当に男について根も葉もない噂をしたり
嫌がらせなどがあったのか、そこのところは判然としないが
男は妄想性障害の果てに殺害放火にいたる。
限界集落の閉ざされた人間関係の中、
以前は祭りなどの行事もあったが、それも維持できないような状態で
噂話をすることが一種の娯楽になるということは想像に難くない。
本当に噂話なのか、単なる井戸端会議なのか分からないのだが。
いや、限界集落に限ったことではない。
ご近所の女性が何人かほぼ毎日立ち話をしているのだけれど
私が認知症の母と同居するために実家に戻ったとき
「〇〇さんとこ、娘さんが帰ってきたけど出戻りやろか」
「ご主人はいないみたいやね」(この時夫は単身赴任)
しばらくして
「このごろ、たまに男の人が来てはるえ」
「あの人が夫?それとも愛人?」
なんて噂をしていたとしても不思議ではない。
私の妄想だけれど。
まあ、実際は当時は家と仕事の往復に精一杯の毎日だったし
引っ越してきてすぐ町内の役があたってしまい、
そんな噂のたつ暇も、妄想を膨らませる余地もなかった。
もし私がまったく孤立していたら
被害妄想をふくらませていたかもしれない。
一番いけないのは、孤立することかも。
一方で、夫の父親は妻が亡くなってから世間とは孤立して暮らしていたが
自分で楽しむ世界を持っている人なので
世間のことなど全く気にしていなかった。
ご近所の方からしたら気になる存在だったかもしれないが。
100歳を越えたころから、ようやくデイサービスやヘルパーを受け入れるようになったが
それまではせっかく来たヘルパーを追い返してしまうような人だった。
孤独を愛せる人はそれはそれで良いようで。
ただまあ、一方的に自分の話はするが、人の話にまったく耳を貸さないので
家族は困っていた。
会社ではそれなりにやっていたようなのだが。
「上から言われたことはする」と割り切っていたのかねえ。
具体的な支障がない限り、本人の生きたいように生きればよいのではと思う。
問題は、好きで孤独になったわけではない人。
『つけびの村』の男は、
ひょっとしたら村に帰ってから妄想性障害になったのではなく
東京にいたときにすでに発症していて
村に戻ることでこじらせたのかもしれない。
「変な人」ということで誰もまともにかかわろうとしなかったのだろう。
両親が亡くなってから、孤独を深めたようだ。
ネット上での誹謗中傷やヘイトも孤独感の表れかもしれない。
家族であっても会話がない家庭。
被害妄想を膨らませる環境は、限界集落に限らない。
都会は都会で、人が多いからこそ孤独感は深いともいえる。
そして人は、被害妄想を膨らませると時には殺人にまで及ぶのだ。
ことばにして分かり合おうとすることの難しさ。
お互いを人として尊重しながらコミュニケーションするということの難しさ。
難しいからこそ、教育の重要な課題なのだと思う。
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